機会があり、80分の持ち時間で発表をすることになった。
もちろんパワポをつかった口頭発表だけでなく、参加者とのディスカッションなどもふくめこの時間なのだが。
しかし、こんなにも長い時間の発表をつくったことはないので、3つ上の先輩にアドバイスをいただくことにした。
同期の友人も一緒に3人で打ち合わせをした。
先輩はかなり優秀な経歴をもっている方なので、実際にアドバイスの内容も目から鱗のことばかりだった。
しかし、正直に言うと、如何せん漠然なことが多く、内容を理解するのに苦労した。
わたしの脳内はグルグルだった。
筋の通ったまともなことを言っているという表面のことはわかるのだが、その表皮をむいた奥にある核がイマイチつかめない。
結局どういう意味だ?
何度だって聞き返す。
意味がわかるところは自分の言葉で言い直し、確認する。
しかし、肝心のところがわからない。
そして、衝撃だった。
同期はわりと理解できているようだった。
先輩が言っていることを踏まえ、彼女が議論を広げる。
先輩は「その視点大事だね」と受ける。
なぜ、するどい指摘をできるほど理解できているのか。
彼女の理解度とわたしの理解度には明白な差があった。
わたしが意見を言い、「わかりますか?」と尋ねたとき
「悩んでいることはわかる(笑)」と返された。
まともな意見を言えてないってことだ…
帰り際に「大変そうだね」とも言われた。
わたしがしっかりついていけていないことを察したのだろう。
さらに愕然としたのは、先輩との打ち合わせ後に、同期と2人で発表資料を作り直しているときだ。
先輩が説明してくれたことを、もう一度同期に説明させてしまった。
わかったつもりでいたが、わかっていなかったのだ。
彼女が言うことに「うん」「うん」と相づちを打ち、資料にかきこむ。
ウーーーーン
これはどうしたら克服できるんだ?
知識量の話というより、理論や方法論を知っているか知らないかの差だったように思う。
じゃあ哲学の本や考え方の本を読めば克服できて、2人に並べるのかというとそういうわけでもない気がする。
まあなかなか目を向けたくない部分なんだと思うが、
たぶん
わかろうとしてなかったんだろうな。
考えることをやめていたんだろう。
どうしてだ?という何故の疑問を持つことを放棄していたんじゃないか。
だから、2人が話す理論を、「どうしてそうなるんだ?」と考えることを避けていた気がする。
思えばずっとそうだ。
なんでだ?と考えて根本から理解することを放棄しがちな気がする。
「彼女がそう言っているならそうなんだろう。よくわからないけど、」
これが癖づいていた結果、ほんとうに大事な場面でわたしは理論的な思考をストップさせてしまった、のではないかな?
ウーーーーーン
ここまで「わからない」ことって初めてだ。
悔しい?嫉妬?はいぼくかん?
イマイチしっくりこないけど…
とにかく真っ正面から理解すべきことは、
わたしと彼女のあいだには差があったということだ。
その差を埋めるために、なぜ?と考える訓練をした方がいいと思うし、
本ももっと読むべきかな。
…よく!!!わかんないけど!!きっと!!おそらく!!