国際交流のたのしさを久しぶりに思い出した国際学部生

マレーシアの大学の学生団体と、オンラインで文化交流イベントを開いた。

 

ひさしぶりに英語で、外国出身の人たちとはなしをした。

あれ、こんなに楽しかったっけ!?

 

コロナで大学の対面授業がなくなって早1年以上。

ディスカッションの授業もなく、国際交流イベントもなく、学内の留学生とはなす機会すらほとんどなかった。

英語をはなす機会自体すらほとんどなかった。

 

いや、学内を探せば、オンラインで英語チャットをするイベントは去年から開催されていた。

わたしが参加していなかっただけだ。

 

おっくうに感じていたのかもしれない。

めんどうに感じていたのかもしれない。

英語で思うように言いたいことを言えなくて挫折感を味わうのを、わざと避けていたんだろう。

できないことをやろうとするのは大変だ。身体的にも精神的にもストレスがかかる。

がんばろうとするのは、間違いなく大変だ。

まわりの人より自分はできないという環境の中で、必死に周りにしがみつくのはほんとうに心が折れそうになる。

 

だから、わたしは、面倒で大変で骨の折れることを無意識のうちに避けて、この1年はのうのうと過ごしていたんだ。

 

でも、ひさしぶりに、異文化の世界にいる人たちとコミュニケーションをとって思い出した。

こんなに楽しいんだ。

 

英語で伝えきれないもどかしさを味わい、

相手が言っていることの半分も理解できず、

弱いネット環境のせいでコミュニケーションが何度も途切れ、

室内なのにびっしょり汗をかく。

必死に頭と耳をはたらかせる。

こんなに大変だ、

国のちがう人たちとコミュニケーションをとるというのは。

 

でも、その面倒さを上回るほどに

楽しいんだ。

 

知らないことばかり出てくる。

味の予想のつかない食べ物が紹介される。

日本では見たことのない美しい景色がある。

まったく舌になじみのない言語が使われている。

私は着たことがないヒジャブをかぶっている。

 

知らないことばかりだ。

刺激しかない。

こんなに楽しいんだ。

面倒さと億劫さと大変さをいくらでも追いこして、

楽しさが降りかかってくる。

 

そうだ、私が海外に惹かれる根源的な理由はこれだった。

私がアフリカで働きたいとまで思った理由はこれだった。

私が今の学部を選んで学んでいるのはこれが理由だった。

 

ひさしぶりに初心を思い出した。

根っこの、根っこの、根っこの部分を。

 

やっぱり大事だ。

これが大事だ。