【ネタバレ感想】「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」最後は自分で決断したシンジ君

庵野秀明監督の大作「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観てきた。

 

155分間、脳神経をフル稼働して鑑賞したので、上映終了後は頭がガンガン痛かった。

色彩、フラッシュ、突然の場面転換、爆音、読み上げられるコマンド、そして何より次々と明らかにされる複雑なストーリー

頭が、もう、疲れました

 

でも、その頭の痛みに見合う納得感と満足感だった。

 

本作を未鑑賞の人に、内容をイチから説明しろと言われたら、それはできないと言うしかないほど、詳細はまっっったくわかってない。

(なんか…とりあえずインパクトがいろいろあったんですよね…)

でも、ふしぎとすべてが腑に落ちている。

 

シンジ君がなにを考えたのか、なぜ決断したのか。

アスカと、レイと、カヲル君はなぜ存在したのか。

マリはなぜ新劇場版に必要だったのか。

 

ストーリーが複雑なわりに、1つ1つ親切に説明を加えてくれたから、現在地を確認しながら迷子にならずに鑑賞しきることができたように思う。

 

まったく不完全燃焼ではない。

 

「シン・エヴァンゲリオン」の集大成にふさわしい素晴らしい描き切りっぷりだったと思う。

 

155分間が、この一連の作品の最後には必要だった。

 

鑑賞中は、前半の第三村での平和な生活の時間が長すぎないか~~??と感じていたが、

そのたっぷりの時間の流れが、アヤナミレイ(仮称)には必要だった。

彼女の最期をみれば、村の人と汗水垂らした仕事や、赤ちゃんのお守り、委員長に教えてもらったことすべてが、彼女の「生」に新しい色を与えたことがまざまざとわかる。

さらに、後半でシンジ君を苦しませまいとした彼女の行動も、あの第三村での人との交わりがあったからこそだろう。

アヤナミレイ(仮称)が、彼女らしく、彼女の人生を生き切ってくれたように思う。

 

ニコ・ロビン赤司征十郎もそうだが、どうしてこうも、ガードの硬かった人がほころび笑い、人間臭く生きる様子は、魅力的なんだろうか。

綾波レイがすごく好きになった。

 

アスカの苦悩も、存外わたしに身近なものだった。

 

すごく強い彼女だった。いつも強い姿勢を崩さない彼女だった。

 

しかし、彼女の核はいたってシンプルだった。

「誰かに頭をなでてもらいたい」

人間の承認欲求や、誰かに愛されたいという想いは、いろいろな形で表出する。

アスカの場合は、「強さ」となって現れた。

彼女は魂になってしまったが、相田ケンスケにもう一度会ってほしい。

いや、相田ケンスケに会えたからこそ、魂になったのか。

とにかく、迷子にならず、頭をなでてくれる人のもとに、もう一度帰ってほしい。

 

カヲル君の愛もいたって純粋に、シンジ君に向けられていた。随分と長いあいだ。

渚司令であり、第一の使徒であり、第十三の使徒であり、円環の中にいた彼は、結局何者なのかよくわからないが、とにかくシンジ君を見守る愛だけはハッキリと私の目にも映った。

さまざまな肩書を持つカヲル君は、最後は夏のみどりの中へと歩いて消えていった。

役目を負え、楽になれるのならそれでよいと思う。

 

マリもまた、シンジ君に深い愛をもつ女性だった。

登場時は「誰このクセ強めのメガネ女子。あんま好きじゃない」とまで思っていてごめん。

今はめっちゃ好き。

彼女こそが、シンジ君が一歩を踏み出し、エヴァンゲリオンシリーズが終わるために必要な人間だった。

彼女が「どこにいても迎えに行くよ」と言い切り、手を差し伸べ、シンジ君の手をしっかりと取る様子は、実に象徴的だ。

差し出してくれる手があるからこそ、シンジ君はもう一歩進めるのだ。

 

レイに助けてもらい、アスカに背中を押され、カヲル君に寄り添ってもらって、マリに手をとってもらい、シンジ君は新しい未来へ「行こう」と進める。

 

ただ、もちろん、最後に「進もう」という決断をしたのは碇シンジ君自身だ。

助けてもらい、背中を押してもらい、寄り添ってもらい、手を差し伸べてもらっても、彼自身の足が動かなければ結局どこにも行けない。

 

シンジ君は基本的に動けない時間が長い男の子だった。

とにかく悩む。泣く。じっとする。イヤホンをして外界を遮断する。泣く。拒絶する。

その時間が長い子だった。

 

でも、相田ケンスケも言っていた通り、碇シンジにはその時間が必要なのだ。

「泣いて救われるのは自分しかいない」とのちにシンジ君は自ら言っていた。

 

逆に言えば、自分が救われるには、泣く時間だって必要なのだ。

まあシンジ君は後ろ向きの時間はあまりにも長いような気もするが。

それでもいいのだ。

わたしだって泣くときはめちゃくちゃ泣く。もういいだろってぐらい泣く。

泣かないと先に進めないのだ。

そういうものだ、わたしたちは。

 

先に一歩進むのに、ものすごく長い時間が必要だ。

大量の涙も流さなきゃならない。

さらには、誰かに助けてもらい、背中を押してもらい、寄り添ってもらい、手を差し伸べてもらうことも必要だ。

 

それでもいいから一歩先へ「ゆく」のだ。

 

まわりから向けられる愛に怒鳴り返すことしかできなかったシンジ君が、その愛1つ1つに向き合い、対話し、浄化した。

そして、自分の中にあった母親の愛に気づくことができ、長年目をそらし続けていた父さんの愛とも向き合うことができた。

 

忘れられない愛

 

"It's only love"

宇多田ヒカルの歌がものすごく染みる。

 

正直、鑑賞前にすでに50回は"One last kiss"と"Beautiful world"は聴いていた。

今回は、劇場で宇多田ヒカルの歌を聞きたさもあった。

でも、あそこまで、染みるとは。

一歩踏み出した青空の下のシンジ君のカットにかかりながら流れ出し、エンドロールすべてを見送った宇多田ヒカルの歌。

 

エヴァンゲリオンと完全にシンクロしているわけではなく普遍的に言えることを歌っているのだが、エヴァの本質を見事打ち抜いているかんじが気持ちいい。

 

もう~~~満足しかないのがおわかりいただけただろうか。

大変、胃にストンと落ちている。

 

あとは、NHKのプロフェッショナルの流儀を見て、シン・エヴァンゲリオンは完全消化されるかな。

ナディアも観よう。

 

ここまで描き切った庵野秀明監督と、エンドロールに名を連ねたすべてのスタッフと関係者に心から拍手を送りたい。

ありがとうございました。