パリは綺麗な街か、汚い街か

パリの中心部に住んでいる友だちが、セーヌ川の夜景を見ながら「パリから離れたくない」と残念そうにつぶやきました。

パリのセーヌ川の夜景
 
また、違う会話の中で同じ人が「パリの北の方は危なくて一人で歩けない」と、パリの北の方に家も学校もある私に言いました(笑)
 
こういった言葉を聞いてふと「パリの環境の良い部分だけを見て、この街を好きだと彼女は言うのか」と、自分の捉え方とのちがいに気づきました。
 
もちろん治安は私も気にするし、リスクは避けます。
 
でも、「この街は汚くてごちゃごちゃしてるなあ」と思いながら歩く街も好きです。
 
たとえば、パリ北部
 

パリ北部、グット・ドール地区のある一画
ここにも、オスマニアン建築はあるし、最近の建物でも高さやファサード・窓の大きさは揃えられ、幾何学的な街並みをしています。
 
でも、バルコンに洗濯物や雑貨が置かれているのをよく見かけます。
 
それは、建物の外に”人の生活がはみ出している”ように私には見えます。
 

洗濯物を干す、パリ北部のある集合住宅
ちなみに、フランスの外干し事情について
約40年前、リヨンでは「視覚汚染防止のため」外干し禁止令が出された。
しかし、その10年後には廃止され、今も条例で禁止している都市の例はない。
ただ、「建物のブルジョワ的品位を落とす」という考えで、いまだに建物の管理規約で外干しを禁止している場所はある。
新築ではそういうルールもなくなってきているが、人々の中には、”外干しは乾燥機を家に持たない人たちがやる、好ましくない習慣”という意識が残っている。
 
それに比べるとパリ中心部はずいぶん小ざっぱりしてます。
洗濯物なんてまず見ません。
 
シルバニアファミリーのおもちゃみたいな家の中から掃除機の音が道いっぱいに響いているときは、ニヤッとしますが。
 
とにかく、ルールで形を固められた建物の外に、物や音があふれ出てしまっているのを見ると、「この街は生きてるなあ」と思いドキドキします。
 
つまり、
 
人が集住して都市ができ、
 
時が経つと、景観を美しく保つことに意識が向き始め、ルールで建物を固めるようになり、
 
でも、さらに時が経つと、内側の人の活動で、建物にひびが入り、傾き、汚れ、音が漏れ、物が溢れてくる。
 
 
ハウルの動く城みたいですね
引っ越しのシーン、荒れ地を歩く城の外観は秩序なんてない形なのに、屋内は一等綺麗なモデルハウス然。
むしろ、ごちゃごちゃ汚い外観の方に、よっぽど人の暮らしが生々しく現われているのでは。
そう考えると、ハウルの動く城巾着袋をひっくり返したみたいなものだな。
 
 
「汚くてごちゃごちゃしている」街の方にこそ、人が生きている証拠がある気がするので、わたしは街のそちら側を見るのが好きで、その多面性を知らずに街を評価することはできないなと思います。