なんでもないようでなんでもある日

20歳。好きなものはマンガと映画とアニメ。こんなことを考えて今日も眠れなくなっている!

yoha「さよなら恋人、またきて友だち 宮内ユキについて 3」

どんな人生を経験したら、これほど生々しいキャラクターを描けるんだろう。

 

人間としてあまりにも生々しい。

 

残酷で

自分本位で

人にやさしくするのが下手で

がんばり方の方向性がおかしくて

自分のことを認めるために必死で

他人に自分の価値を転嫁する

自分の都合のいいように考える

無理に笑おうとしてもうまくできない

 

確かに現実世界と比べれば、倫理観のタガは外れているが、

あまりにも個の人間としては、人間らしい。

 

とくに、カバー裏。

2人のキャラクターの対談が掲載されている。

「幸せとはなにか」「(オメガバーズの世界での)運命とはなにか」

といったトピックについて、2人の人間の思想が披露されている。

 

正直、2人の間に会話のキャッチボールは成り立っていないように思えたが、

ともかく一人一人のものの考え方や価値観があまりにも確立している。

作者というひとりの人間が、ここまで別個の人間の思想を交互に書けるものなのか?

なんなら、ひとり分ずつ書いたんじゃないかと疑るぐらいに。

 

すべての創作物は作者の人間性を投影するが、

「さよなら恋人、またきて友だち」シリーズほどに、作者の底が知れない作品はないんじゃなかろうか。

だからこそ、きっとまた次巻も手に取ってしまうのだ。

人生ではじめて「人の目が気になる」ようになった

今まで人の目なんてほとんど気にしたことがなかった。

人と話しているときに相手にどう思われようかなんて関心がなかった。

 

でも、今日ひさしぶりに大勢の人と顔と顔を合わせて話して感じた。

「今、この人は私のことをどう思ってるんだろう」

「相変わらずできない人だなって思われてるのかな」

「太ったなって思われてるのかな」

「相変わらず女らしくないやつだって思われてるのかな」

相手の考えていることを想像しはじめたら無限大なのに、かんがえることが止まらない。

 

こうも気になるようになってしまった理由はなんとなくわかる。

 

コロナで大学の授業はすべてオンラインだ。

だから、人と話すときは「何かしらの用事があって話す」場面ばかりになった。

つまり、時間を決めてミーティングをしたり、バイト中だったり、というように目的があって話す場面がほとんどになってしまった。

逆に言えば、気軽になにも考えずざっくばらんにおしゃべりする機会がなくなったということだ。

大学に通っていれば、毎日そういう会話の場面のオンパレードだったのに、

最近じゃあ、プレッシャーのかかる会話ばかりだ。

 

たとえば、サークルのミーティングは、代表として話すから考えなきゃならないことが多い。

あらかじめ話す内容を決めて

時間内に終わらせて

後輩が話しやすいように気をつかって

全体の雰囲気がよくなるように気を回して

プレッシャーがかからないわけがない。

 

それ以外の場面は、逆に「教えてもらう」とか「下っ端」のときばかりだ。

たとえば、入社したてのバイト

踊りの振りがほとんどわからないダンスサークル

はじめてばかりの自動車学校

「すいません」「お願いします」「教えてください」のオンパレードで、こちらもあまり気が休まらない。

 

ここ数年でひさしぶりに「話すことが大変」だと感じた。

口を開けばプレッシャーのかかる場面ばかりだから。

 

口を開くのはプレッシャーのかかる場面ばかり

→なんとなく上手く話せない

→自己評価が下がる

→「話し相手にどう思われているんだろう」と急に周囲の目が気になり始める

→「きっとダメに見られてるんだ」とさらに自信をなくす

→話しづらくなる

→「話すのが下手」な自分は、過去のじぶんにそっくりだから、昔の状態にもどってしまった気がして、自分を認めたくなくなる

→『「自分のことを好き」じゃない自分なんて自分じゃない』と落ち込む

アイデンティティの危機!!

 

そうなんだよね、

自分の個性って『「自分のことが好き」なところ』だったからさ

自分のことをすきじゃない自分なんて、いやなんだよね

だって、自分で自分のことを認めてあげられないなんて一番つらいじゃん

じゃあ、だれが 認めてくれるのよ?

いないよ

自分が自分のことをすきになって、認めてあげないと、自分は崩壊しちゃう

 

「じぶんは自分を好きでいたい」のに、

「できない自分」ばかりを直視せざるを得ない場面ばかりが続くから、自己肯定感がだだ下がりよ最近は。

「踊りの振りがわからない。後輩に教えてもらわないとならない」

インターン先で役に立てない」

「車の運転が上達しない」

「サークルのミーティングをうまくまとめられない」

下降下降カコウ

 

こうなったら解決策は1つしかない。

 

じぶんでも問答無用で自分のことを認められるように、

「めちゃくちゃ何でもできる優秀な自分」にならなきゃならない。

自分ができるようになりたいと思っている、夢に近いような状態に自分を上げていかないと、

いつまで経っても、私は私を認められない。

 

大変だ。

そんなに頑張れるだろうか。

でも、ここで頑張って自分の価値をあげないと、

自分が自分をきらいになってしまう。

それはいやだ。

じぶんは自分を好きでいたい。

 

自分が認められる自分でいたい

そうならなきゃならない

「最上を目指せば途中までいける」

エド・シーランがこんな感じのことを言ったらしい。

「その道の最上を目指せば、途中まではいける」

 

最上を目指す気で駆け上がらないと、途中までもいけないというわけだ。

あまりにも私はドキリとした。

「私以上に〇〇をすきな人間はいない!」なんて豪語しておきながら、

まったく「その道のプロ」を一貫して目指していたことなんてないじゃないか。

すぐ練習をやめるじゃないか。

すぐ学ぶことをやめるじゃないか。

途中でほっぽりだしてばかりの人間が、なにが「一番〇〇をできる人間を目指す!」だ。

途中までだって行けやしない。

 

最近、「あれ、自分ってなにもできなくない?」

「他者評価が自己評価よりたかくて参るな」

って思ってた、まさにその原因は、

自分がまったく最上を目指してがんばっていないから、

「途中」までにだって達することができず

ものすごく中途半端な道程で、うしろを見返して

想像以上に進んでいない道のりを見てがくぜんとしているんだ。

なんて情けない。

 

せめて一番すきなことは最上を目指そう。

 

人としての美しさもそうだ。

 

最近、なんとなく気になっていた人に恋人ができたとわかって、地味にショックをうけた。

正直、今のじぶんに女性としての美しさがないのはわかる。

だからといって、男性的な美しさがあるわけでもない。

言ってしまえば、人間としてとくに美しくない。

 

女性になりきれず、男性にもなりきれないのはわかった。

 

それならもう、人として最上に美しくなることを目指そう。

男性的な美しさも、女性的な美しさも持ち合わせる。

理想じゃないか。

いいね

そういう美しさならほしい

おめめぱっちりな女性的な美しさは別にほしくない。

男性的に美しい自分もイマイチ想像できない。

スカートだってすきだ。

Yシャツだってすきだ。

どちらも最上に似合う人間になら、なりたいなと思う

 

そういう人間になれるなら、かなり人生たのしそうだ

自動車学校教官に半笑いで「無理だね」と言われたが、むしろ感謝

今日は一日自動車学校に行ってきた。

 

第二段階の6限目ぐらいにして、「僕はこれ第一段階の最初の教習でおしえるんだけどね」と言われたことを教えてもらった。

 

「というか、これは教えられなくても、みんなできるようになるものなんだけどね(笑)」とまで言われた。

 

今こうして文字にするとすこし腹立つが、

とにかく私は言われないとわからなかったので、この”早い”タイミングで教えてもらって感謝しかない。

 

自分がマニュアル車の運転にまったく向いていないことはわかっている。

右足と左足を別々に動かせない人間だから。

ものすごく苦労することは自分が一番重々承知なのだ。

この特性を持って「わたし」という人間をもう何年やってると思ってるんだ?

これが私なんだ、仕方ないでしょう。

 

わかった上でわたしはマニュアル車を運転できるようになりたいんだ。

運転はものすごく楽しい。おもしろい。

もっとうまくなりたいと心から思う。

 

教習が終わるたびにできないことが増えている気がして、気分は一瞬落ち込む。

しかし、「また早く運転したい」と思う。

 

今日もそうだ。

「今日教えてもらったことは、本当に基本中の基本だ。

どうして今までできなかったのかわからない。

でも、できてみると、ものすごく運転が楽だ。

この技術をちゃんとモノにしたい。」

 

明日の教習が待ち遠しくてしかたがない。

国際機関に勤務するリッパな人の話をきいて「じぶんには何ができるの?」

国際機関で働き、今もアフリカのある国に駐在している方のおはなしを訊いた。

「英語もできない」「それまで海外に行ったこともほぼなかった」「大学時代は部活にかけていた」

「ある時、世界には自分より恵まれていない人たちがいると知って、自分も世界を変えたいと思った」

「経験はなかったが、それでもJICAに採用されたのは、今考えるとほんとうに運がよかっただけ」

 

じゃあ、わたしは、もしかして余裕でJICAに受かるのか?

志はある

高校時代からアフリカに恋焦がれている

大学で学んでいる専攻分野は、将来アフリカで仕事になるだろうと思い、選んだ

 

いや、きっと落ちるな。

志があるわりに、中身がともなっていない。

 

「言葉で言う割に、行動が伴っていない」

高校時代に担任の先生に言われた言葉だ。

 

アフリカの文化がだいすきで、向こうで働きたいと長いこと思っているわりに、

英語は十分にできるのか?

フランス語も同じくらいできるのか?

いや、かなり暇だったはずの去年1年間でなにもスコアをとっていなかった。

 

専攻の勉強も、人の5倍も10倍も進んでいるのか?

いや、進んでいない。

まったく「人並」だ。

 

人並み以上の志や考えをもっているとばかり思っていたわたしは、

実際のところ何もできないままで、2年前となんら変わっていない。

勢いでタンザニアに飛び出すことしかできなかった無鉄砲で無計画なあのころの私と何ら変わっていない。

 

気持ちばかり急いて、なにかできる人間には、まったく追いついていないんだな。

お金がなければ約束の時間に遅れるのは道理

今日、帰りに乗るつもりだった電車が、人身事故で運転を見合わせていた。

Google Map によると歩いて60分!

50分後に、ゼミが始まる予定だったのでめちゃめちゃ急いで歩いた。

 

途中、人を満杯にのせたバスが横を通る。

わたしがバスに追いつく。

またバスが先をゆく。

バスが先へ、先へ、見えなくなる。

また後ろから、今度は中によゆうのあるバスが通り過ぎる。

そこで気づいた、

バスという選択肢を考えていなかったことに。

「だって、道も混んでるからそんなに変わらないだろうし、

なによりお金がかかるし」

 

結局、ゼミには3分遅れぐらいで参加できた。

まあ遅れたことに変わりはないけど。

 

ふと気づいた。

お金がないと、定刻通りに待ち合わせ場所に着くことも案外むずかしくなるよなあ、と。

 

お金がないので、なるべく歩こうとする。

歩くためには早めに出発しなければならないが、

お金がないと、朝ごはんをつくるにも時間がかかる。

 

同時に、レンジと電気ケトルを使えるのは、電気アンペアによゆうのある家庭だけだぞ?

プロパンガスは高いんだから朝からガンガン使えないぞ?

ブレーカーが落ちないようになんだり気にしていると、同時進行でいろいろできないので、朝の準備にも時間がかかる。

 

じゃあ、早起きすればいいと言うが、

お金がなければ、前夜はおそくまで働いていたかもしれない。

 

お金がない生活ってね、「人との待ち合わせ時間にちゃんと到着できるか」っていう指標だけでも測れるものだよ。

 

お金があればよゆうのある生活が送れる。

その逆だよ、ほとんどの人は。

 

日本も、遠いアフリカの国も。

 

アフリカの人は時間にルーズだとよく訊くが、

人と待ち合わせるたびに、

タクシーは使えず、

家から遠いバス停まで歩いて、

定刻通りに来ないバスを待って、

またしばらく歩かなきゃならんのだから、そりゃ遅れるのは仕方ないよ。

 

毎回毎回、すくない選択肢の中から、「遅れないようにがんばる」のは疲れちゃうしね。

だってそうでしょ?

「約束に間に合わない~」って焦ってバスに飛び乗ることを、人と会うたびに繰り返すなんて疲れちゃうでしょ?

「どうせ間に合わないからいいや」と常態化する。

その背景には

「どうせ夜は早く寝れないし」

「どうせ朝は早く起きれないし」

「どうせ朝ご飯は早く作れないし」

「どうせバスには乗れないし」

が積み重なってる。

そうして「間に合う時間に着けばいいや」の精神が生まれる。

 

お金がなければ、それも仕方ないとおもう。

女子大生が送迎バスの運転者に家を教えたのはまずかったか?

わたしは今日の送迎バスの最終便に乗った。

私しか送られる者はおらず、車も4人乗りで小さかったので助手席に座った。

運転者が同い年なので、話がはずむ。

 

話の流れでバイト先を教えてしまった。

 

運転者が「先輩から、最後の人は家の近くまで送っていくように言われてるんですよ」というので、お言葉に甘えてしまった。

 

家の場所を明示したわけじゃないが、かなり近くまで案内してしまった。

 

あれ、やっぱり文字にするとかなり油断してしまっていた気がする。

 

いや、何もないと思うけど~~

何かあるないじゃなく、気を許しすぎだ。

 

気をつけよ。

 

ぜんぜん関係ないけど、マニュアル車を運転するのめっちゃ楽しいね。