9月の留学はなし!!コロナが収まらず正式断念

今日、担当教員に留学の開始時期について相談のメールを送った。

わたしは、9月に行ける可能性は低いとわかっていたけど、

それでも限りなく0に近い可能性にかけて、9月からフランスに行く準備を進めていた。

担当教員も「念のための、準備は進めましょう」と言って、奨学金や、留学先大学への申請を後押ししていたんだから。

 

数日前に、政府主導の奨学金『トビタテ留学JAPAN』が、「感染症危険レベル2と3の国への留学にも、奨学金を支給します」と方針を変更した。

政府は、留学予定者へのワクチン接種もあっせんし始めた。

政府のこの方針が、大学の姿勢にも影響をあたえるかもしれないと淡い希望を抱いた。

 

でも、大学の窓口で「9月開始の留学は、大学の許可がおりない可能性が高い。担当教員ともういちど話し合ってください」と言われた。

やさしい言い方だったけど、やっぱり無理なんだなあと実感するには十分だった。

 

母親にも相談して、1学期遅らせての留学をめざして、万全の準備を進めることに決めた。

やっぱり健康と安全は大事。

この2か月で焦って準備しても、よい留学にはならないな、そう心を切り替えた。

 

だから、担当教員にちゃんと「留学開始時期を半年おくらせます」という連絡をした。

その返信が「はい、そうですね。延期というよりも、今まで話していた通り、9月開始は難しいですからね。2月に行けたらもちろん良いですが。」

 

なんか腹立つ~~~~~~~~

もうちょっと寄り添えよ!!

こっちは、あなたに言われていたからこそ、必死に奨学金の応募用紙を書いて、面接にのぞんで、フランス側と英語でやり取りして、大量の書類を用意したんですよ~~~~~

「9月に行ける可能性は低いですね」という話はたしかにしていたが、希望をもたせたのはお前でもあるんだぞ~~~~~~

ていうか、それならフランス側の受け入れ許可書をもらう時点で、2月留学開始にしましょうって提案しろよ!!!

 

なんか、腹立つ~~~~~

お前の言い方ひとつでめっちゃモヤモヤが残る~~~~~~

この教授、仲良くできねえ~~~~~~

 

この夏は夏でがんばろ~~~~~~

書きたくなったフィクション1

銃を持つ女が叫んだ。

「おまえをやるか、こいつをやるか選べって言うんなら、私はおまえら2人以外、この場にいる全員をころす」

そう言って彼女が引いた引き金の、弾丸はまっすぐ、敵のボスの眉間へ。

彼女が一番はやく動き出す。

そして場が動きだす。

誰にも何もさせまいと、彼女は敵の波へ突っ込んでいく。

北条まちあるき はじめて会う人と話すことってこんなに楽しかったか

今日は一日筑波山をフィールドウォークしてきた。

 

9時過ぎに筑波山口に着き、目の前にある製麺所のラーメンを「試食」

朝にピッタリの激ウマしょうゆラーメンでした。

松屋製麺所 | 自然を楽しむ・自然を味わう・自然と営む

 

筑波山フットパスのルート通りに、筑波山神社まで2時間かけて登る。

きっつい道のりだが、町のバックグラウンドが知れておもしろかった。 

フットパスマップ (市内周遊散策マップ)|つくば市公式ウェブサイト

 

神社前のお土産店のおかあさん、天然水を分けてくれて、おいしさに感動。 

みよこの七味で有名【神橋亭】店頭にはガマも! | 筑波山なび

 

5月にできたばかりだというポップアップショップ、これからの可能性無限大というかんじでものすごくキラキラしていた。

BASE 877ができるまで #01 | 筑波山 Mount Tsukuba

 

お昼は、門前町で北条米おむすび。

店員さんが「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれてうれしい。

釜炊きおにぎり 筑波山縁むすび | 農業生産法人 筑波農場

 

午後、ルートを決めかねて旅館のおねえさんに訊いてみたら、すごく丁寧に答えてくれた。

次、時間とお金に余裕があるときに、ゆっくりしていきます。

【公式】筑波山 江戸屋

 

つくば道を北条までおりる。

町の半分ぐらいは空き家と空き地だが、残る家々は歴史ある立派な日本家屋で感激。

 

道中で道を教えてもらったり、豆知識をおしえてくれる町の人たちも、ものすごく気さくで丁寧でやさしい。

 

北条までへとへとになりながら到着し、北条ふれあい館におじゃま。

 

おばあちゃんたちが、ものすごく寛大におもてなししてくれた。

1時間以上、むかしばなしをたっぷり訊かせてもらった。

つくば道 北条さんぽ | 北条ふれあい館(旧田村呉服店)

 

はじめての町で、はじめての人と、はじめての言葉を交わす。

はじめての自己紹介をし、はじめてのことをタップリ教えてもらう。

 

そうだ、人と出会うたのしさは、こういうことだったなとひさしぶりに思い出した。

とても充実したいい一日だった。

また行こう。

漫画「ダブル」に触発されて深夜23時につかこうへい「飛竜伝'90 殺戮の秋」をみて泣いた

youtu.be

 

漫画「ダブル」4巻を読んで、

じぶんの古典作品に対する知識が足りなくて、ぜんぜんよくわからなくて、

ネット上じゃプラトン「饗宴」は読めなくて

とりあえず何か「ダブル」を理解する手助けになる作品をみたい、

そう思ってひとまず「初級革命講座 飛竜伝」と検索した。

ほんとうにみたかった「初級革命講座 飛竜伝」はみつけられなかったが

ひとまず「飛竜伝」と名の付く映像をみてみた。

2時間半もあるとは確認していなかった。

見始めてすぐ、これは「ダブル」の中で演じられている「飛竜伝」ではないな

(実際、飛竜伝’90は大幅改定版だったらしい)

と気づいたが、主人公の神林美智子のかわいさと強さから目を離せなかった。

それと、舞台演出のカッコよさ、

ストーリー転換の大胆さ、

なにより私が生まれる20年以上も過去の、しかし鮮烈な安保闘争という血と命が輝く題材に、

グイグイと引き込まれておしまいだった。

 

よふかししたくなかったんだけどな~~~

 

染みみたいな、ぼやけが目立つ映像

正直、舞台奥の役者のようすはまったくわからない。

セリフもすべては聞き取れない

 細かい表情もみえない

聞きなれない言葉も多い

知らない時代

知らない思想

知らない衝動

 

わかりきれない所は多いが、しかしそれでも何とか拾えるところは拾おうと、

必死に目をこらし、耳を澄ました。

 

神林美智子の豹変っぷりは超かっこいい

丸メガネにぼやかされていた印象が

一瞬でキリリと、強く鋭い視線に生まれ変わる。

かわいい声

きゅるきゅるした歩き方

カツカツした歩き方

ビシバシなぎ倒す手刀

身体の線

委員長としてのハリのある一声

恋人として、奥さんとしての酷くやわらかい声

アイドルみたいな歌声

じぶんの魅せ方をわかってる顔やからだの角度

 

終始本当に同一人物?

 

彼女をもっと見ていたくて眠い目をこすって画面にへばりついた。

 

 

愛だった。

愛に泣いた。

正直、桂木はクソ。

全体的に男性陣みんな女を「抱く物」としてしか見てなくて今の感覚でみればほんとにクソ。

でもその前近代的な思考すらも鑑賞物として刺激的。

山崎は惚れる。

山崎の誠実さはよい。

性欲もまっすぐすぎてクソだが。

山崎と美智子の愛に涙が流れた。

まさか泣くとは思ってなかった。

限界的な状況で、敵同士という立場に引き裂かれる愛って、王道だけど結局泣いちゃうんだな。

 

山崎と子どもへの愛を最大限伝える、母親としての強さとやさしさがある美智子と

全学連40万人を率いる強さの化身としての委員長である美智子。

一瞬で切り替わる視線のつよさに、ゾクゾクした。

 

2時間半ほとんど舞台に出ずっぱり。

舞台上に生きていて、心底たのしいだろうなあ。

女として、上に立つ者として、恋人として、奥さんとして、母親として、友として、(ときにはアイドルとして)

美智子のすべての顔を2時間半で経験しきった。

きもちいだろうなあ。

 

「ダブル」の今切愛姫は、こんな女の子をイメージしてるのかなあ

今日の先生 60歳、例えがうまい、自慢が鼻につかない

今日の、まちづくりの授業の先生は、教授らしくない人だった

 

話が上手。

リズムがあり、話に合わせて体が動き、楽しそうに感情をこめて話す

 

例えがうまい。

ちょっとした具体例、比喩のチョイスがうまい

「たとえば」なんて言葉を使わなくても、挟み込むタイミングが上手

 

自慢が鼻につかない。

周囲に評価されたときのことをサラッと話す。

「会社の社長に『わたしの地元のまちづくりを、任せられるのは君しかいない』と言ってもらった。」

なんにも鼻につかない。第三者の評価を淡々と伝えてくる。

 

なにより、自分の今のしごとを心から楽しんでいるようだった。

心から考え、頭をひねり、常に新しい解決策やアイデアを求めているようだった。

だから、学生にも「ありがとうございます」「よろしくお願いいたします」「どう思いますか?」「こういうことですか?」「良いヒントをいただきました」と謙虚である。

 

こういう人こそ、地元の人に心を開かれて、いい町をつくれるんだろうな。

毎日のちいさなドキドキの積み重ねがない

親友と夕飯を食べに出かけた。

満腹になったのでまっくらな公園を散歩した。

ブランコをこぎながら、星空を見上げていると、口が軽くなる。

 

「最近つまらない」

「勉強に身が入らない」

 

国立大学の大学生として、なんとなく口に出しずらかった本音が、予想外に共感を得た。

毎日毎日PCに向き合うだけ。

専攻は都市計画なのに、外にでて町の中で学ぶこともできない。

いちおう、今のゼミの先生のもとで、大学院にも進学する予定だが、海外に調査にも行けない今の状況で大学院に進学してなにができる?

 

卒業後、なにしたい?

いま一度、自問しなきゃ。

 

 

学校に行けていたころは、日々の日常の中でなにかしらのドキドキワクワクがあった。

特別なことはなくても、学校に行けばなにかしら楽しいことがあった。

 

でも、今は、その毎日のちいさな楽しみを積み重ねることができない。

 

だから、ライブに参戦したり、凄そうな人のセミナーを受けたり、ちょっと派手な旅行を計画したりする。

お金を払って、自分のためにたのしみを用意している。

 

友だちがみた映画「メランコリック」の中でこんなセリフがあったらしい。

 

「楽しみがないと、生きていけないのか?」

 

本当は、ふとした瞬間におとずれる、予想外のたのしさがあれば、それで人生十分なんだ。

でも、今はない。

あらかじめ自分で用意しておかないと、ない。

 

そうか、こんなにも日々に虚無感を感じてしまうのは、

毎日の中に、ちいさなドキドキワクワク楽しさを、積み重ねることができていなからだったんだ。

じぶんの言葉のくせに、ふと、腑に落ちた。

国際交流のたのしさを久しぶりに思い出した国際学部生

マレーシアの大学の学生団体と、オンラインで文化交流イベントを開いた。

 

ひさしぶりに英語で、外国出身の人たちとはなしをした。

あれ、こんなに楽しかったっけ!?

 

コロナで大学の対面授業がなくなって早1年以上。

ディスカッションの授業もなく、国際交流イベントもなく、学内の留学生とはなす機会すらほとんどなかった。

英語をはなす機会自体すらほとんどなかった。

 

いや、学内を探せば、オンラインで英語チャットをするイベントは去年から開催されていた。

わたしが参加していなかっただけだ。

 

おっくうに感じていたのかもしれない。

めんどうに感じていたのかもしれない。

英語で思うように言いたいことを言えなくて挫折感を味わうのを、わざと避けていたんだろう。

できないことをやろうとするのは大変だ。身体的にも精神的にもストレスがかかる。

がんばろうとするのは、間違いなく大変だ。

まわりの人より自分はできないという環境の中で、必死に周りにしがみつくのはほんとうに心が折れそうになる。

 

だから、わたしは、面倒で大変で骨の折れることを無意識のうちに避けて、この1年はのうのうと過ごしていたんだ。

 

でも、ひさしぶりに、異文化の世界にいる人たちとコミュニケーションをとって思い出した。

こんなに楽しいんだ。

 

英語で伝えきれないもどかしさを味わい、

相手が言っていることの半分も理解できず、

弱いネット環境のせいでコミュニケーションが何度も途切れ、

室内なのにびっしょり汗をかく。

必死に頭と耳をはたらかせる。

こんなに大変だ、

国のちがう人たちとコミュニケーションをとるというのは。

 

でも、その面倒さを上回るほどに

楽しいんだ。

 

知らないことばかり出てくる。

味の予想のつかない食べ物が紹介される。

日本では見たことのない美しい景色がある。

まったく舌になじみのない言語が使われている。

私は着たことがないヒジャブをかぶっている。

 

知らないことばかりだ。

刺激しかない。

こんなに楽しいんだ。

面倒さと億劫さと大変さをいくらでも追いこして、

楽しさが降りかかってくる。

 

そうだ、私が海外に惹かれる根源的な理由はこれだった。

私がアフリカで働きたいとまで思った理由はこれだった。

私が今の学部を選んで学んでいるのはこれが理由だった。

 

ひさしぶりに初心を思い出した。

根っこの、根っこの、根っこの部分を。

 

やっぱり大事だ。

これが大事だ。