映画「ダニエル」前後半でジャンル違いすぎ【ネタバレなし】

eiga.com

 

日本語版ポスターは詐欺。

 

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出典:ダニエル : ポスター画像 - 映画.com

前半1/3は日本語版ポスターの雰囲気だけど、後半2/3は海外版ポスターのほうが近い

 

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出典:Daniel Isn't Real (2019) - Rotten Tomatoes

 

これは絶妙なB級スリラー

BLの期待は裏切られる

 

「俳優どイケメンだな」

「どの画もキレイ」

「女の子かわいい」

「おや、様子がおかしいぞ?」

「おやおや??」

「おやおやおやおや????」

 

「はあ、まったくラストが読めん」

「どうやって終わるんこれ?」

「なんかおもしろくなってきた」

 

「え、これはどういう意味のラスト?」

 

解釈がおもしろい映画

イマジナリーフレンドかと思いきや…??

 

予想外続きの展開で、今までのセオリーを壊してきたかんじ。

この演出って今まであまり見たことなかったけど、たしかにそれもアリだよな。

 

つうか映画なんだから何でもアリだよな

何かよくわからないけど、おもしろいもの見れたし、これぞイマジネーションだな(雑)

 

2年に1回ぐらいみたいかも

ポップコーン片手に「何回みてもわかんないな」ってつぶやくのが丁度いい映画な気がする

無遠慮なサークルの後輩

サークルの1個下の後輩がとても無遠慮だ。

遠慮というものを知らない。

ときどき一応遠慮する素振りをみせるときはあるが、その機会は一般人の10分の1ぐらい。

 

先輩に体当たりする。180cm19歳の男が体当たりするから相手はふつうにふっとばされる。

 

当たりが強い。「なにしてんだよ○○!!」と本人はイジってるつもり。

しかし、完全に不良のそれ。

おだやかで優しい3つ上の先輩にもふつうに怒鳴る。そこには嚙みつくな、こっちがビビる。

 

遠慮なく「きらい」と言う。

「この振付、踊りにくいし、俺はぜんぜんカッコよくないと思うんですよね。だからきらいです。」

振り付けた人が同じ空間にいるのに、ド正直に言う。

 

仲いい先輩はタメ口で呼び捨て。

 

目が笑ってない(気がする)

 

服装が完全に不良。モノクロ花柄シャツにピンクのダボダボパンツってどこのローソンから来たんだよ。

 

すぐ本音を言う。髪を切った女の子に「かわいいね」とちゃんと言える。

 

遠慮しないけど、相手の話も都合も訊く。

 

言うべきだけど言いにくいことも、ちゃんと伝えられる。

 

いいやつだから、今度バイト先行ってあげよ。

つまらんな!!バイトとオンライン授業と

くそつまらんやんけ!!!

授業のオンデマンド動画を見て、課題として感想を書いてるときにふと沸き起こったこの感情。

なんだなんだ、急にめちゃくちゃつまらないな!!!

 

いや何も唐突につまらない状態に陥ったわけではない。

今この瞬間の

オンデマンド授業→ひとりで黙々と課題提出 という流れは

何も今にはじまったわけじゃない。

去年からだ。

みんな知ってる通り、去年の3月頃からこの抑え込まれる人生ははじまった。

人生ぞ。人ひとりの人生ぞ。

人様ひとりの人生を押さえつけて、何が10万だ。

いやあ、つまらん。

なんてつまらんこの大学生活。

休学して木工房で働き始めた友人もいる。

何にせよ休学する大学生はほんとうに増えた。

ついでに経済的に退学に追い込まれた学生も。

 

私は海外に行けねば休学する理由もないと思っているので、休学という選択肢はとらなかった。

アフリカに、アンデスに、アラスカに、オイミャコンに、ネパールに、行けるのなら3年生は休学する予定だったわ!

とっくのとうに私はアラスカでアザラシ獲ってるわ!!

 

しかし、だからといってオンライン大学生活を続ける意味もあるのかと、

ここにきて唐突に脳内の神様が言いよった。

さっさと単位をとって、コロナが収まったころに、自由になんの足かせもないモラトリアム生活を送れれば良いではないかと思っていたが。

たとえば明日死んだらどうだろう!

「やべえ、死ぬ1年前は超つまらんかった」とならねえか!?

オンラインで再生される教授の言葉をただただ脳内の棚にしまい込む毎日が

ほんとうに今日一日のわたしの人生を潤しているか!?

 

いや、とりあえずつまらない。

日本アルプス奥の山小屋で1か月自活して問いただしてえ。

いま実現できる最高の人生はなんだ、と!!

面接で人に”評価”してもらわないと、ビタ一文もらえない世界

留学奨学金の面接審査が今週末にせまっている。

 

先輩からもらったアドバイス

「自己開示しよう

解決したい問題を共有しよう

解決手段を掲示しよう

自己をアピールしよう」

 

「『幼少期はどんな子でしたか』とか、かなりプライベートなことも訊かれるよ」

 

…なんで??

たいへんな世界だなあ、まったく。

 

初めて会う他人に自分の人生を話して

共感してもらって

自分のことをすきになってもらわないとならない。

 

それでも、初対面の社会人に、自分の人生をありったけ話していいってなかなか無い貴重な時間だから、楽しみではあるんだけどね。

いっぱい私について喋ってやんよ!

yoha「さよなら恋人、またきて友だち 宮内ユキについて 3」

どんな人生を経験したら、これほど生々しいキャラクターを描けるんだろう。

 

人間としてあまりにも生々しい。

 

残酷で

自分本位で

人にやさしくするのが下手で

がんばり方の方向性がおかしくて

自分のことを認めるために必死で

他人に自分の価値を転嫁する

自分の都合のいいように考える

無理に笑おうとしてもうまくできない

 

確かに現実世界と比べれば、倫理観のタガは外れているが、

あまりにも個の人間としては、人間らしい。

 

とくに、カバー裏。

2人のキャラクターの対談が掲載されている。

「幸せとはなにか」「(オメガバーズの世界での)運命とはなにか」

といったトピックについて、2人の人間の思想が披露されている。

 

正直、2人の間に会話のキャッチボールは成り立っていないように思えたが、

ともかく一人一人のものの考え方や価値観があまりにも確立している。

作者というひとりの人間が、ここまで別個の人間の思想を交互に書けるものなのか?

なんなら、ひとり分ずつ書いたんじゃないかと疑るぐらいに。

 

すべての創作物は作者の人間性を投影するが、

「さよなら恋人、またきて友だち」シリーズほどに、作者の底が知れない作品はないんじゃなかろうか。

だからこそ、きっとまた次巻も手に取ってしまうのだ。

人生ではじめて「人の目が気になる」ようになった

今まで人の目なんてほとんど気にしたことがなかった。

人と話しているときに相手にどう思われようかなんて関心がなかった。

 

でも、今日ひさしぶりに大勢の人と顔と顔を合わせて話して感じた。

「今、この人は私のことをどう思ってるんだろう」

「相変わらずできない人だなって思われてるのかな」

「太ったなって思われてるのかな」

「相変わらず女らしくないやつだって思われてるのかな」

相手の考えていることを想像しはじめたら無限大なのに、かんがえることが止まらない。

 

こうも気になるようになってしまった理由はなんとなくわかる。

 

コロナで大学の授業はすべてオンラインだ。

だから、人と話すときは「何かしらの用事があって話す」場面ばかりになった。

つまり、時間を決めてミーティングをしたり、バイト中だったり、というように目的があって話す場面がほとんどになってしまった。

逆に言えば、気軽になにも考えずざっくばらんにおしゃべりする機会がなくなったということだ。

大学に通っていれば、毎日そういう会話の場面のオンパレードだったのに、

最近じゃあ、プレッシャーのかかる会話ばかりだ。

 

たとえば、サークルのミーティングは、代表として話すから考えなきゃならないことが多い。

あらかじめ話す内容を決めて

時間内に終わらせて

後輩が話しやすいように気をつかって

全体の雰囲気がよくなるように気を回して

プレッシャーがかからないわけがない。

 

それ以外の場面は、逆に「教えてもらう」とか「下っ端」のときばかりだ。

たとえば、入社したてのバイト

踊りの振りがほとんどわからないダンスサークル

はじめてばかりの自動車学校

「すいません」「お願いします」「教えてください」のオンパレードで、こちらもあまり気が休まらない。

 

ここ数年でひさしぶりに「話すことが大変」だと感じた。

口を開けばプレッシャーのかかる場面ばかりだから。

 

口を開くのはプレッシャーのかかる場面ばかり

→なんとなく上手く話せない

→自己評価が下がる

→「話し相手にどう思われているんだろう」と急に周囲の目が気になり始める

→「きっとダメに見られてるんだ」とさらに自信をなくす

→話しづらくなる

→「話すのが下手」な自分は、過去のじぶんにそっくりだから、昔の状態にもどってしまった気がして、自分を認めたくなくなる

→『「自分のことを好き」じゃない自分なんて自分じゃない』と落ち込む

アイデンティティの危機!!

 

そうなんだよね、

自分の個性って『「自分のことが好き」なところ』だったからさ

自分のことをすきじゃない自分なんて、いやなんだよね

だって、自分で自分のことを認めてあげられないなんて一番つらいじゃん

じゃあ、だれが 認めてくれるのよ?

いないよ

自分が自分のことをすきになって、認めてあげないと、自分は崩壊しちゃう

 

「じぶんは自分を好きでいたい」のに、

「できない自分」ばかりを直視せざるを得ない場面ばかりが続くから、自己肯定感がだだ下がりよ最近は。

「踊りの振りがわからない。後輩に教えてもらわないとならない」

インターン先で役に立てない」

「車の運転が上達しない」

「サークルのミーティングをうまくまとめられない」

下降下降カコウ

 

こうなったら解決策は1つしかない。

 

じぶんでも問答無用で自分のことを認められるように、

「めちゃくちゃ何でもできる優秀な自分」にならなきゃならない。

自分ができるようになりたいと思っている、夢に近いような状態に自分を上げていかないと、

いつまで経っても、私は私を認められない。

 

大変だ。

そんなに頑張れるだろうか。

でも、ここで頑張って自分の価値をあげないと、

自分が自分をきらいになってしまう。

それはいやだ。

じぶんは自分を好きでいたい。

 

自分が認められる自分でいたい

そうならなきゃならない

「最上を目指せば途中までいける」

エド・シーランがこんな感じのことを言ったらしい。

「その道の最上を目指せば、途中まではいける」

 

最上を目指す気で駆け上がらないと、途中までもいけないというわけだ。

あまりにも私はドキリとした。

「私以上に〇〇をすきな人間はいない!」なんて豪語しておきながら、

まったく「その道のプロ」を一貫して目指していたことなんてないじゃないか。

すぐ練習をやめるじゃないか。

すぐ学ぶことをやめるじゃないか。

途中でほっぽりだしてばかりの人間が、なにが「一番〇〇をできる人間を目指す!」だ。

途中までだって行けやしない。

 

最近、「あれ、自分ってなにもできなくない?」

「他者評価が自己評価よりたかくて参るな」

って思ってた、まさにその原因は、

自分がまったく最上を目指してがんばっていないから、

「途中」までにだって達することができず

ものすごく中途半端な道程で、うしろを見返して

想像以上に進んでいない道のりを見てがくぜんとしているんだ。

なんて情けない。

 

せめて一番すきなことは最上を目指そう。

 

人としての美しさもそうだ。

 

最近、なんとなく気になっていた人に恋人ができたとわかって、地味にショックをうけた。

正直、今のじぶんに女性としての美しさがないのはわかる。

だからといって、男性的な美しさがあるわけでもない。

言ってしまえば、人間としてとくに美しくない。

 

女性になりきれず、男性にもなりきれないのはわかった。

 

それならもう、人として最上に美しくなることを目指そう。

男性的な美しさも、女性的な美しさも持ち合わせる。

理想じゃないか。

いいね

そういう美しさならほしい

おめめぱっちりな女性的な美しさは別にほしくない。

男性的に美しい自分もイマイチ想像できない。

スカートだってすきだ。

Yシャツだってすきだ。

どちらも最上に似合う人間になら、なりたいなと思う

 

そういう人間になれるなら、かなり人生たのしそうだ