今まで人の目なんてほとんど気にしたことがなかった。
人と話しているときに相手にどう思われようかなんて関心がなかった。
でも、今日ひさしぶりに大勢の人と顔と顔を合わせて話して感じた。
「今、この人は私のことをどう思ってるんだろう」
「相変わらずできない人だなって思われてるのかな」
「太ったなって思われてるのかな」
「相変わらず女らしくないやつだって思われてるのかな」
相手の考えていることを想像しはじめたら無限大なのに、かんがえることが止まらない。
こうも気になるようになってしまった理由はなんとなくわかる。
コロナで大学の授業はすべてオンラインだ。
だから、人と話すときは「何かしらの用事があって話す」場面ばかりになった。
つまり、時間を決めてミーティングをしたり、バイト中だったり、というように目的があって話す場面がほとんどになってしまった。
逆に言えば、気軽になにも考えずざっくばらんにおしゃべりする機会がなくなったということだ。
大学に通っていれば、毎日そういう会話の場面のオンパレードだったのに、
最近じゃあ、プレッシャーのかかる会話ばかりだ。
たとえば、サークルのミーティングは、代表として話すから考えなきゃならないことが多い。
あらかじめ話す内容を決めて
時間内に終わらせて
後輩が話しやすいように気をつかって
全体の雰囲気がよくなるように気を回して
…
プレッシャーがかからないわけがない。
それ以外の場面は、逆に「教えてもらう」とか「下っ端」のときばかりだ。
たとえば、入社したてのバイト
踊りの振りがほとんどわからないダンスサークル
はじめてばかりの自動車学校
…
「すいません」「お願いします」「教えてください」のオンパレードで、こちらもあまり気が休まらない。
ここ数年でひさしぶりに「話すことが大変」だと感じた。
口を開けばプレッシャーのかかる場面ばかりだから。
口を開くのはプレッシャーのかかる場面ばかり
→なんとなく上手く話せない
→自己評価が下がる
→「話し相手にどう思われているんだろう」と急に周囲の目が気になり始める
→「きっとダメに見られてるんだ」とさらに自信をなくす
→話しづらくなる
→「話すのが下手」な自分は、過去のじぶんにそっくりだから、昔の状態にもどってしまった気がして、自分を認めたくなくなる
→『「自分のことを好き」じゃない自分なんて自分じゃない』と落ち込む
→アイデンティティの危機!!
そうなんだよね、
自分の個性って『「自分のことが好き」なところ』だったからさ
自分のことをすきじゃない自分なんて、いやなんだよね
だって、自分で自分のことを認めてあげられないなんて一番つらいじゃん
じゃあ、だれが 認めてくれるのよ?
いないよ
自分が自分のことをすきになって、認めてあげないと、自分は崩壊しちゃう
「じぶんは自分を好きでいたい」のに、
「できない自分」ばかりを直視せざるを得ない場面ばかりが続くから、自己肯定感がだだ下がりよ最近は。
「踊りの振りがわからない。後輩に教えてもらわないとならない」
「インターン先で役に立てない」
「車の運転が上達しない」
「サークルのミーティングをうまくまとめられない」
下降下降カコウ
こうなったら解決策は1つしかない。
じぶんでも問答無用で自分のことを認められるように、
「めちゃくちゃ何でもできる優秀な自分」にならなきゃならない。
自分ができるようになりたいと思っている、夢に近いような状態に自分を上げていかないと、
いつまで経っても、私は私を認められない。
大変だ。
そんなに頑張れるだろうか。
でも、ここで頑張って自分の価値をあげないと、
自分が自分をきらいになってしまう。
それはいやだ。
じぶんは自分を好きでいたい。
自分が認められる自分でいたい
そうならなきゃならない