シャガールの絵をポンピドゥーで生で見た。泣いた

ポンピドゥーセンターに行ってきた。

天気が大荒れになる予想で、友だちとすこし遠くまで出かける予定をキャンセルしてのことだった。

前日どこにも出かけず籠っていたので、その憂さ晴らしもしたくて、ほとんど衝動的にポンピドゥーセンターへ出かけた。

「有名どころだから、いつかは行くだろう」という軽い気持ちだった。

到着してパンフレットをもらって、びっくりした。

世界で1番すきな画家、シャガールの名前があった。

 

シャガールの絵が、ある。

 

体温があがった。

 

シャガールの絵のある場所にたどり着くまでにも心に響く画家が多くあった。

Georges Rouault

戦時中の絵なので暗く見えるが、明るさがある。

江戸川乱歩みたい。


偶然だった。

あるデッサンを見て「シャガールっぽいなー」と思ったら、作者はMarc Chagall

Apollinaireという詩人と仲がよいと知らなかった。

シャガールの友人をひとり知れた。その嬉しさ

彼の人生をひとつ理解できる、その感激よ。

 

でも、いよいよシャガールの油絵が目に入ったらもう身体中がそれしか考えられなくなった。

一瞬彼の絵が目に入っただけで涙があふれてきた。

感激で胸がいっぱいになるとは、こういうことか。

はじめての経験だった。

本当に熱い涙があふれてくる。

 

1枚目は「Le marchand de journaux」

1番強調されているのは「Les mariés de la Tour Eiffel」

ただ、私の心に1番響くのは「A la Russie, aux ânes et aux autres」

 

小6のときに模写し強烈に記憶に残っている「私と村」に似ているからだろうな

 

彼の描く人間はけっして現実に即していない。

でもそれが彼の描く人間。

そうだ、絵は「自分に描けるもの」を描けばいいものだった。

いつの間に「世間に認められる」「3次元のようなリアルな」絵を描かなければ絵とはいえないと思い込んでいたんだろう

 

そんな馬鹿なことあるもんか

 

自分が描けるものを描いてこそなんぼだ

 

元にポンピドゥーセンターに飾られている絵で、リアルな人間に即した絵はわずかだった。

 

崩して

 

曲げて

 

柔らかくして

 

抽象化して

 

「自分に描ける人間」を描けばそれが最高だ

 

あーあ、いつの間に恐れていたんだろう

 

ただ純粋に楽しんで、シャガールの筆に自分を重ねて模写し

自分の思う“花”を立体でつくっていたあの頃がよっぽど“芸術”を理解していた。

 

まわりになんて縛られない

 

パリに来たからこそ気づけたかもしれない

 

誰もまわりを気にしてない

みんな好き勝手だ

 

だからこそだろうか。

そこら辺で踊る

適当に絵を描く

ノリで楽器を弾く

 

ああ、芸術ってそれでいいんだ

肩肘張ってやるもんじゃない

やりたいなーと思ったときに、自分にできる範囲でやるものだ

 

なんだか私が今まで

「ジャズやりたい、でもできない」

「ドラムやりたい、でもできない」

「油絵描きたい、でもできない」

「演劇やりたい、でもできない」

と思っていたのが本当に窮屈だったと気がついた。