オンラインで、大学の新入生に対してサークルの新歓活動を行った。
初対面の新入生とはなす。
なんとか盛り上げないと。
そういう気持ちがはたらいたのか、
今日は口がよくまわった。
口のすべりが良いとでもいうのだろうか。
油が回ったように、
水を得た魚のように。
関西出身でもないくせに関西弁がでてしまう悪い癖がある。
いいすぎてないだろうか
スピードを出し過ぎてカーブを曲がり切ってしまったときみたいな
ドキドキする気持ちで。
しゃべって、
笑って、
まとめて、
お疲れ様と言って。
画面が暗くなり
客観的に、数分前までの自分を思い出すと
私、こんな人間だったっけ?となる。
こんなによく喋る人間か。
自分という人間をつくっているのは、自分であるはずなのに
ほんとうに自分か?と
問い直したくなる。
まわりから見えている”自分”を形成しているのは、
まちがいなく私自身だが。
”まわりから見えている自分”と
”自分が知っている自分”とに
齟齬がある気がしてしかたがない。
”自分”は
他の人間とコミュニケーションをとっているときの、あの自分なのか、
それとも、
自分だけが知っている20年間の歴史をもつ、家の中にいるこの自分なのか、
どちらも人間のはずだが、
まったく違う生きもののような気がする。
なんでだろう。