天才だね、俳優も、監督も、撮影監督も、音楽家も。
しかも、2人だけを除いて全員、演技は素人の実際のノマド(放浪民)っていうね。
泣いたな。
ツバメの飛び交う様子、たまごの殻が川を下る様子を、いとおしそうに「ほんとうに美しかった」と語る声の調子に、1番泣けた。
わたしは昨日、今年9月から予定していたフランスへの留学を諦めた。
コロナ的に、大学がまったく許可してくれる様子がないから、むりだと思った。
それで夏がひまになった。
去年の夏は、ずいぶんとのんびり過ごしてしまったように思うから、今年の夏はなにをしようかなとちょうど今日も親友と話をしたところだった。
見事に映画に影響されて、放浪をしたいなとおもう。
日本の場合は、車より電車のほうがおもしろいかもな。
電車で、バックパックを背負って、1人で車窓や通学の高校生やおばあさん、車掌さんたちを眺めて、行く先々で目に入るものを愛でたい。
でもドライブもいいな。
免許をとったばかりだから不安ではあるけど、じぶんのプライベートスペースを丸ごと移動できるというのはやっぱり魅力的だ。
わたしは割とふだんから、明日死ぬかもしれないなと考える。
「明日このまま死んだとき、後悔しないかな」とよく考える。
じぶんはいつも自然に憧れてきた。
アラスカで雪に囲まれ、カリブーの群れを見たい。
アンデス山脈で、息を切らしながらアルパカの世話をしたい。
オイミャコンで寒さに死にそうな思いをしながら、家族と一緒に火にあたたまりたい。
コンゴで汗を流しながら、荷物に囲まれて川を下りたい。
そのほかにも、たくさん。
じぶんの知らない景色があり過ぎる。
忘れていたな、自然の美しさを。
はじめて見る自然の光景に、どれだけ感動してしまうかを、ひさしぶりに疑似体験した。
じぶんはどう死にたいだろう。
2年前の夏に死んだ祖父のことを思い出した。
私は死に目に間に合わなかった。
でも、叔父が「孫が会いに来るよ」とベッドの中の祖父に言ったら、脈がしっかり上がったらしい。
何度もその話をきいた。何度も、何度も、祖母や叔父や母がうれしそうに話すから。
わたしは会いに行けなかったのに。
最後にもう一度会えなかったのに。
たくさんのことを教えてくれた祖父は、最期のときには私に何を伝えてくれただろう。
何を伝えたかっただろう。
わたしは何を伝えただろう。
じぶんは最後の瞬間にどんな景色を見たいだろう。
見切れなくて後悔するだろう。
働くことにある程度の時間を取られるのは仕方がない。
ご飯を買うにも、寝る場所をみつけるにも、美しい光景を見るのにも、お金は必要だから。
でも、わたしの全ての時間を労働にくれてやる必要なんてない。
人生のすべての時間で虚無になって働く必要なんてない。
もちろん仕事を愛せれば良い。
仕事と家のある町を愛せるのなら、それは幸せなことだ。
ずっとその町にいたって何の問題もない、愛せるなら。
でも、愛せないことの方がきっと多い。
どうしても「外」に惹かれてしまうことはきっと多い。
それはそれで良い。
「外」に行きたいと思った時に、現金や労働などの”くさび”に足を取られることがないなら、良い。
くさびは自分で外すものだ。