お金がなければ約束の時間に遅れるのは道理

今日、帰りに乗るつもりだった電車が、人身事故で運転を見合わせていた。

Google Map によると歩いて60分!

50分後に、ゼミが始まる予定だったのでめちゃめちゃ急いで歩いた。

 

途中、人を満杯にのせたバスが横を通る。

わたしがバスに追いつく。

またバスが先をゆく。

バスが先へ、先へ、見えなくなる。

また後ろから、今度は中によゆうのあるバスが通り過ぎる。

そこで気づいた、

バスという選択肢を考えていなかったことに。

「だって、道も混んでるからそんなに変わらないだろうし、

なによりお金がかかるし」

 

結局、ゼミには3分遅れぐらいで参加できた。

まあ遅れたことに変わりはないけど。

 

ふと気づいた。

お金がないと、定刻通りに待ち合わせ場所に着くことも案外むずかしくなるよなあ、と。

 

お金がないので、なるべく歩こうとする。

歩くためには早めに出発しなければならないが、

お金がないと、朝ごはんをつくるにも時間がかかる。

 

同時に、レンジと電気ケトルを使えるのは、電気アンペアによゆうのある家庭だけだぞ?

プロパンガスは高いんだから朝からガンガン使えないぞ?

ブレーカーが落ちないようになんだり気にしていると、同時進行でいろいろできないので、朝の準備にも時間がかかる。

 

じゃあ、早起きすればいいと言うが、

お金がなければ、前夜はおそくまで働いていたかもしれない。

 

お金がない生活ってね、「人との待ち合わせ時間にちゃんと到着できるか」っていう指標だけでも測れるものだよ。

 

お金があればよゆうのある生活が送れる。

その逆だよ、ほとんどの人は。

 

日本も、遠いアフリカの国も。

 

アフリカの人は時間にルーズだとよく訊くが、

人と待ち合わせるたびに、

タクシーは使えず、

家から遠いバス停まで歩いて、

定刻通りに来ないバスを待って、

またしばらく歩かなきゃならんのだから、そりゃ遅れるのは仕方ないよ。

 

毎回毎回、すくない選択肢の中から、「遅れないようにがんばる」のは疲れちゃうしね。

だってそうでしょ?

「約束に間に合わない~」って焦ってバスに飛び乗ることを、人と会うたびに繰り返すなんて疲れちゃうでしょ?

「どうせ間に合わないからいいや」と常態化する。

その背景には

「どうせ夜は早く寝れないし」

「どうせ朝は早く起きれないし」

「どうせ朝ご飯は早く作れないし」

「どうせバスには乗れないし」

が積み重なってる。

そうして「間に合う時間に着けばいいや」の精神が生まれる。

 

お金がなければ、それも仕方ないとおもう。