小6のときに模写したシャガールの絵が忘れられなくて10代最後にもう一度描いてみる

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Amazonダンボールで作ったイーゼルに立てかけたキャンバス

コロナウイルスのせいで、大学2年生の夏だっていうのに海外旅行にも行けやしない。

時間ができたので、長いこともう一度描きたいと思っていたシャガールの「私と村」という絵を模写することにした。

 

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Marc Chagall, I and the Village

www.artpedia.asia

 

普段、芸大で絵を描いているわけでもない文系学生がこれまたどうしてシャガールの絵を模写しようと思ったのかというと、

小学校6年生の図工の授業で、一度描いたからだ。

そして、当時の、シャガールの絵にのめり込んだ時間があまりにも楽しくて忘れられなかったのだ。

 

自分の好きな「名画」を模写するという課題だった。

私は教科書の裏表紙に載っていたシャガールの絵に一目惚れして、これを描きたいと思った。

 

図工の時間内にまったく終わらず、昼休みも描き続け、掃除の時間も描き続けていた。

掃除のために机を動かすから邪魔になると思い、教室の端に寄せられた電子ピアノの上に描きかけの絵を移動させて、せまいスペースに体をねじ込んでとにかく描き続けていた記憶がある。

掃除をサボっていたのだから、先生や友だちに怒られても仕方なかっただろうに、誰一人責めてこなかった。幸せな環境だった。

 

それでも描き終えることができないので、学校に居残りをして描き続けた。

男子3人ぐらいと一緒だった。

外は夏の嵐だったことを覚えている。

 

本来は油絵具のものを水彩絵の具で、しかも画材が限られている中で、よくもまあこの絵を再現しようとしたものだ。

表現技法なんてこれっぽっちも知らないから、頭をひねってなんとかある物でお手本通りに描こうとしていた。

 

最後、全生徒の描き上げた作品が壁一面に飾られた中で、シャガールのその絵は1枚しかなかった。

 

ドキドキし、誇らしかった。

 

試行錯誤し、友だちに褒められ、自分のやりたいことに没頭できる時間はあまりにも、のち7年間も忘れられないほど、幸せなものだった。

 

だから、もう一度描こうと思ったのだ。

 

12歳の私が夢中になった絵に、19歳の今の私はどう向き合えるだろうか。

追体験したくなった。

 

ただ、あの時のように、時間を忘れて、ひたすら筆を走らせることに集中することは最早できないだろう。

あの頃は余裕があった。時間にも、きもちにも。

でも、今は、バイトの間を縫って描かなければならないし、この夏のうちに将来のキャリアのことも考えておかなければならない。余裕はそんなにない。

 

それでも、もうキャンバスは用意した。

画材も揃った。

Amazonダンボールでイーゼルも手作りした。

描く環境は整った。

 

実家の玄関に飾られた私のシャガールの絵を見続けて、もう一度描きたいと何年間も感じていたのだ。

今、19歳の夏に、筆を取らなければ後悔するだろう。

 

あとは、描くだけだ。