9月から留学に行ける。ベナン渡航は不許可。ボランティアの時間はないのか?

超いそがしい。

 

9月からパリの建築大学へ留学に行けることが決まりそうだ。

正式にはまだ決まっていないが、ほぼほぼ行けそうだ。

 

いや、参ったなあ、準備が後手に回りまくっている。

何より、じぶんの気持ちが追い付かないよ。

 

2か月後にはパリの建築大学でフランス語で授業を受けているのか?

人生、どう動くかわからないよまったく。

 

でも、今日、最悪にアンハッピーな連絡がきた。

大学が、ベナンへの渡航は許可しないそうだ。

 

もともと留学計画の中では、ベナンに2か月間滞在し、現地のNPOインターンをさせてもらう予定を立てていた。

何なら、そのインターンが本番のつもりだ。

そのNPOは、気候変動の影響をモロに受け、家が水没しまくっている地域で、地元の若者や子どもたちと一緒に、家をつくっている。

大事なポイントは、住民と一緒に、地元の材をつかって、家をデザインし建設していることだ。

アフリカでこんなに先進的な活動をしている団体があるのなら、行かないわけには行かない。

 

先生からもらった連絡はあまりに簡潔すぎて、ショックが時差で来た。

その後、3時間ほどかけて留学申請書類を書き進めているとき、

「あれ、なんで私は一番行きたかったはずのベナンには行けないのに、留学をしようとしてるんだろう?」

「なんのために行こうとしてるんだろう?」

と不思議に思えて仕方がなく、涙が流れるのを止められなかった。

 

でも、そのあと、先生と電話で話して心が軽くなった。

「非常に残念です。でも、諦めずにいきましょう。まず出国するための大学の手続き的にはノーと言われたが、留学中にコロナの状況が変わることはまったくあり得る。」

そうだよね、ありがとう。

先生のメールが簡潔すぎてショックを受けたのも許すよ。

 

そして、留学に行けるとなると、やる気満々だった教育ボランティアに参加できない可能性が高くなってきた。

8月下旬なんて、留学準備で一番いそがしいだろう。

ウーン、その時期に25時間の事前準備と3日間の拘束か~、きびしい。

 

でも、「やらない後悔より、やる後悔」という私のポリシーに反する。

正直、このボランティアに参加できるのは、今回が最初で最後だと思う。

わたしに欠けていた経験を埋めたい。

 

でも、同時に、留学直前はなるべく家族と過ごす時間を確保したい。

そして、フランス語の勉強も死ぬ気でやらなきゃいけない。

 

ボランティア団体へ「やります」という旨のメールを送るのを躊躇しまくっている。

これは、「やる」ことを今回ばかりはネガティブに捉えているのか、自分は…

 

自分の本音をドラえもんの道具で聞きたい。

 

 

どっちの選択をしてもスッキリしないな~~~

茨城県医師会への批判

事実

茨城県医師会による要請

2021年7月5日ホームページ掲載(その後一度削除。7日現在復活)

www.ibaraki.med.or.jp

令和3年7月2日
「ROCK IN JAPAN FESTIVAL2021」主催者 殿
「ROCK IN JAPAN FESTIVAL2021」に関する要請書
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、本県における新型コロナウイルス感染症は、令和2年3月17日に県内初の感染が確認されて以降、6月末時点で感染者10,544名、死者164名に上っております。
この間、県民一丸となって、感染拡大防止に向けた取組みを重ねるとともに、我々医療従事者も昼夜を問わず、懸命な医療活動に当たってきたところであります。
現在、一時の危機的な医療逼迫の状況は脱したものの、希望者全員へのワクチン接種は未だ進行過程にあり、感染力の強い変異株の勢力拡大によって、いつ何時、全国的な蔓延が繰り返されるのか、大いに懸念されるところであります。
こうした状況の中、先日、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL2021」の開催が公表されました。2000年からスタートしたこの催しが、今や本県における夏の風物詩として定着し、地元に大きな経済効果をもたらしていることに、いささかの疑念もありません。
しかしながら、例年に比べ大幅な入場制限等の措置が取られるとしても、現下の状況で開催されることについては、強い危機感を抱かざるを得ません。
つきましては、こうした事情をご賢察のうえ、下記の事項について、特段の御配慮をいただきますよう、要請いたします。

1 今後の感染拡大状況に応じて、開催の中止又は延期を検討すること。
2 仮に開催する場合であっても、更なる入場制限措置等を講ずるとともに、観客の会場外での行動を含む感染防止対策に万全を期すこと。
以上
ひたちなか市医師会 水戸市医師会 日立市医師会 土浦市医師会 古河市医師会 龍ケ崎市医師会
牛久市医師会 石岡市医師会 結城市医師会 常陸太田市医師会 取手市医師会 つくば市医師会
県央医師会 笠間市医師会 那珂医師会 水郡医師会 多賀医師会 鹿島医師会 水郷医師会 稲敷医師会
真壁医師会 きぬ医師会 猿島郡医師 筑波大学医師会 東京医科大学茨城医療センター医師会
茨城県医師会大規模病院連絡協議会 茨城県医師会

「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021」に関する要請について | 医療機関の皆様へ,県民の皆様へ | 茨城県医師会

 

ロッキン事務局による声明

2021年7月7日

rijfes.jp

「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル 2021」の開催を中止いたします。
(中略)
フェス開催1ヶ月前という、ほぼスキーム変更が困難なタイミングでの要請であった為に、私たちにできることはほとんどありませんでした。
政府のガイドライン茨城県ひたちなか市による協力要請を遵守し、会場や県、市の皆さんと密な協議を重ねて開催の承認をいただいてきたのですが、医師会の方の危機感はそれを超えて大きく重かったということで、しっかり受け止めさせていただくしかありません。
要望書が提出された翌週の7月5日(月)、茨城県医師会のホームページに、提出時の写真と要望書の内容がアップされていました。何故か数時間で消えていましたが、多くの方が情報共有できるように再掲載いただけたらと思います。

最新情報 | ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021

 

 わたしの意見

茨城県医師会の要請は、ロッキン事務局側の損失と観客の気持ちを十分に想像したもの とは到底思えない。

また、1年以上の準備期間を設け、億単位の経費をすでに支出している企業に対して対応を求めるには、あまりにも根拠のない曖昧な基準による実現可能性の低い「要請書」であり、公平さに欠けると考える。

 

茨城県医師会による要請の問題点
  1. 1 要請を伝えるタイミングが遅い(チケット発売1か月後、開催1か月前)
  2. 2 要請を伝えた相手がロッキン事務局ではなく、主催者である茨城放送
  3. 3 現在、ロッキン事務局が実施・用意している感染症対策(会場の人数制限、当日のルール等)のどこに問題があるのか指摘していない
  4. 4 「開催の中止または延期を検討する」に値する感染拡大状況の基準、またその根拠を示していない
  5. 5 「更なる入場制限措置等、観客の会場外での行動を含む感染防止対策」の具体例、またその医学的根拠を示していない

全体をまとめると、「実現可能な要請」としての条件を満たしていない、かつ、ロッキン事務局・主催者側への想像力に欠ける、形ばかりの「要請」だと言わざるを得ない。

 

When タイミング

なぜ今なのか、まったくわからない。

医師会の立場に立ち、想像してみる。

本気で「ロッキン開催は県民の安全のために危ないから、なんとか中止するか、医師から見ても満足できるレベルの感染対策を講じてほしい」と思うなら、

ロッキン事務局が「2021年の開催を検討している」と発表した段階でなぜ言わなかったのか。
(渋谷氏の声明を読めば、1年以上前から「会場である国営ひたち海浜公園、地元自治体の茨城県ひたちなか市と協議を重ねて」きたそうである。)

せめて、2021年6月1日に「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021開催します」と発表した段階、

遅くとも、2021年6月8日にチケット第1次抽選先行の受付がスタートした段階で、

医師会からロッキン事務局に開催可否等について相談をもちかければ、

中止するにせよ開催するにせよ、もっとスムーズだったはずだ。

「フェス開催は危ないから、ちょっと待ってほしい」と本気で思うなら、なぜ医師会はもっと早く行動しなかったのか。

 

Who 伝える相手

なぜ、開催の運営を担う事務局のもとではなく、茨城放送の本社を訪れたのか。

たしかに茨城放送の主催者としての権限は大きいだろう。

しかし、この直前のタイミングで本気で「待った」をかけたいのなら、日々1分1秒を使って準備を進めている事務局に直接伝えるほうが、絶対に早い。

伝える相手を間違っていないか?

そして、茨城放送を訪問したあとも、事務局や渋谷氏に直接なにを伝えたわけでもないようだった。

これは、要請の実現可能性を高めるという観点からも合理的じゃない。

何より、イベントの1番の責任者を無視するというのは、ここまで準備を進めている運営者に対して失礼だとは思わなかったのか。

 

Why 要請を出す根拠

要請を出すというのは、現行の感染症対策では不十分だと判断したからだろう。

ならば、まずは、その問題点をキッチリ明示することが必要ではないか。

「ここが問題だから、こう直してください」という改善指導のしかたを、幼稚園でも子ども相手にやっている。

どこが問題なのかも言わずに、「こうしろ」だけ言われて納得できるものではない。

むしろ「医師会の人たちは、本当にちゃんと現行の感染症対策を調べて、分析したのか?」と疑いたくなる。

「どのような点が現行の対策の問題点なのか」を示されないと、要請全体の信用度も落ちる。

 

How 従うべき基準

現行では「危ない」というのなら、一体どんな基準に従えば開催できるのか、まったくその視点が抜けている。

というか、要請全体から「開催を目指す」視点が抜けていないか?

 

「どうすれば安全に開催できるか」というゴール像を、要請の中で医師会はまったく提供していない点が本当に気に入らない。

「問題→改善→理想像」

現実のプロジェクトサイクルでは繰り返されるはずのこの基本的な流れを、医師会はガン無視している。

具体的な問題点を指摘することもせず、具体的な改善策やそれにつながる基準を提示することもせず、「これを目指したい」という理想像も示さない。

ただ、「やめて」とだけ言う。

開催のために邁進するロッキン事務局側からすれば、「どうしたら開催に賛成してもらえるのか。安全に開催できるのか」がもっとも知りたい点である。

そして、ロッキン事務局のゴールは最初から最後まで「観客を動員してロッキンを開催すること」である。

医師会にそれを想像する力はあったのだろうか、まったく疑わしい。

 

話を戻そう。

医師会が「安全基準」を示さないというのは、どのようにすれば開催にこぎつけるかを示さないことであり、それは要請を出す者として非常に無責任なことである。

 

What 対策の具体例

先ほどの「基準」とほぼ同じだが、何をすれば開催にこぎつけるのか、その点を医師会はまったく提案していない。

つまりは、「ロッキン開催」の理想像を示していない。

そんなものどうやって開催すれば良いんだ!

 

まとめ

実現可能性の低さ 

ここまで日本医師会の要請の問題点だと考えられることを1つ1つあげてきた訳だが、全体をまとめると、医師会はロッキンを開催させる気がなかったのではと思うのも仕方がないのである。

まったく現実的な「要請」ではない。

 

よう‐せい〔エウ‐〕【要請】
[名](スル)

(─する)必要な事柄を、その実現のために願い出て求めること。

日本国語大辞典

 

どんな新たなゴール像を目指して何をどう改善すれば良いのかもまったく示さず、「やめて」とだけ言うなんて、まるで子どものわがままだ。

責任ある医師の大人たちが公開したものだとは思えない。

「いかに実現するか」を最優先に考えてきた人たちに対して、「なんの実現の根拠もない」文句をよくもぶつけられたな、この人たちは!

こんなにも根拠も実現可能性もないただの文句が、まかり通り、そして勝ってしまう社会なのかここは。

絶望した。

悔しかった。

 

医師会の想像力の欠如

私がこの要請を読んで愕然としたのは、ロッキン事務局の準備に医師会がほとんど言及していないことだ。

1年以上の期間をかけて、すでに億単位の支出をして、何千人という規模の人々が働きまわり、1か月後の開催に向けて1分1秒も無駄にしまいと準備を進めている。

その労力を医師会は想像してこの文章を書いたのか?

「これまでの皆様の際限なき努力に感謝と尊敬の意を表しつつ、その努力を蔑ろにしてしまう失礼と申し訳なさを重々承知の上で…」等にかする一言もない。

事務局のスタッフに限らず、アーティストや観客が被るリアルな経済的損失、社会的損失、そして心理的なダメージを1mmも想像できていないことが、文章からよく伝わってきた。

 

さいごに

ここまで医師会の要請がいかにひどいものかを語ってきたわけだが、実際にはその子どもの文句みたいな要請が、勝ったわけだ。

ロッキンは開催1か月前にして中止となった。

渋谷氏の声明からは無念のため息が漏れ出ていた。

 

この事実にがっかりだ。

確かにこのコロナ禍でフェス開催にはリスクが付きものだろう。

しかし、「1か月前にして開催中止する損失」と「開催し感染拡大するリスク」を天秤にかけたとき、今のタイミングでは感染拡大リスクのほうが小さかったのではないだろうか。

いや、実際は専門家にシミュレーションをしてもらわないと何とも言えないかもしれない。

しかし、何が悔しいって、その検証の時間も与えられなかったことだ。

渋谷氏も以下のように言っている。

フェス開催1ヶ月前という、ほぼスキーム変更が困難なタイミングでの要請であった為に、私たちにできることはほとんどありませんでした。 

 

ここまで「いかに実現するか」を必死に考えてきた人たちに、要請を受けて「いかに実現するか」を考える余地をすこしも与えなかった点に、残酷さすら感じる。

「感染拡大リスク」「経済的損失」「社会的意義」「観客の気持ち」「音楽業界の維持」等々、あらゆる条件のバランスを総合的に考えて、プロジェクトというものは進行されるはずだ。

しかし、今回はそのバランス感覚が一気に崩された。

「地元の医師会が(実質的に)中止を要請した」という事実が有するパワーの何と大きなことか!

医師会は、実際そのパワーの大きさを自覚していたのであろう。

でなければ、あんな無根拠で無責任な恥ずかしい文章を堂々と公開できるわけがない。

「こんなに簡単な文章でもフェス1つを中止に追い込むには十分のパワーを持っている」という、権力にあぐらをかいた様子が文章から伝わってくるようだ。

 

今年のロッキンは暴力的な正義に負けた。

 

 こんな正義がまかり通る日本社会を恥ずかしく思う。

事務局はなにもできなかった。

文句1つ許されなかった。

自分たちに何ができるかを、医師会に説明する1秒も与えられなった。

こんな暴力的な…

信じられない。

 

自分だったら絶対にこんな暴力をふるいたくないと思ったから、茨城県医師会の要請のどんな点にここまで腹立たしさを感じたのか、どの点に納得できなかったのかを洗い出してみた。

自分は絶対にこんなことはしない。

そう自分が自分に誓うために、茨城県医師会を批判する。

映画「アンタッチャブル」人事を尽くして天命を待つ

「狙いは?」

「まかせろ」

 

このシーン1番カッコイイが爆発してる…

アンディ・ガルシアがセクシーすぎる…

 

eiga.com

 

純粋に警察官にあこがれてしまう映画だった。

音楽がなかったらこんなに感動してないな。

 

自分もがんばれるかも。自分もがんばったらちょっとぐらい奇跡が起きるかも。

って思える映画だった。

ちょっとばかり自己肯定感が下がっているときに見ると、ちょっとばかり前向きになれる。

 

あと、人の死に方がどれも鮮烈。

大勢殺されるけど、どの殺され方も印象深い。

殺し方にはこだわったんだろうな。

わたしは「車の中にいる」のが、1番印象にのこったな。

 

かなり理不尽な世界にも、自分が死ぬ気で、人を殺す覚悟でのぞめば、

さすがに報酬はもらえるんだ、とそう思えた。

ただまあもちろん、運がよければだけど。

 

追記:すごいジワジワときてる。

「諦めなければできる」って見飽きてたメッセージを、新鮮に届けてくれた気がする。

ジワジワと「自分も諦めなければできるのかも」と思わせてくれる。

名作ってこういうことなのか…

 

 

自分と10歳も年が離れていない人たちの仕事の話が立派すぎてビビる

友だちが加入している団体のOBOG座談会を覗かせてもらった。

 

レベルたっか。

 

JICA、JETRO、日立、欧州系医療機器メーカーに勤務してる30歳前後の人たち。

それぞれの立場から国際協力について、すごくおもしろい議論を交わしていた。

 

私は聴講の立場だったが、それにしたって質問の1つもできなかった。

 

私は卒業後どうしたいんだろう。

青年海外協力隊に参加したいというのも、「逃げ」のような気がしてきた。

自分がやりたいことは決まっている。

”マスターを早く取って、しっかり自分で稼いで、アフリカに暮らす人の役に立てる人間になりたい。”

ものすごくよく決まってる。

じゃあ、そのルートから遠回りする必要はないんだから、まっすぐ南アの大学院に進学すればいい。

でも、このコロナ禍でまだ勉強を続けなきゃいけない未来がイヤ。

やっぱり大学生のうちにもっと海外を見て回っておきたい。

現地を知ってからちゃんとお金払って勉強したい。

 

あと、稼ぐ力がほしい。

自分でお金を集められないのに未だ親のスネかじって院進しようとしてるのおかしくないか?

ジェーン・スーがお昼のラジオで言ってた。

「稼げる力があれば、人生何したっていい。」

間違いねえ~~~~

お金で夢を諦める経験なんて何回もしてきて本当に吐くほど泣くほど嫌だったし、

家族にこれ以上迷惑はかけたくないし。

 

在学中に休学しよう

アフリカ、アラスカ、アンデス、オイミャコン回ろう

大学卒業しよう

(お金???????)

アフリカの大学院で都市計画のマスターとろう

 

カーーーお金もらえないなあ、まったく奨学金もらえないなあ

親が共働きで頑張って働いてくれてるからなあ

書類だけみると、わたしって奨学金あげるほどじゃないんだよなあ

あと、PRできるものを何も持ってないんだよなあ

人に評価してもらえる武器を先見して身に付けるのクソ下手くそだなあ

 

自分にできること。よし。

友だちはインターンでお金もらってるけど、私にそのツテはないから、

なるべく色んな場所のまちづくりに参加させてもらって、勝手に勉強させてもらおう。

貧乏でいいや、今は。

貯金もできないけど、貯金するためにバイトに時間を費やすのは本末転倒でイヤだ。

 

じぶん生きるの下手くそだなあ、というのはわかってるんだ。

裕福になれないだろうなあ

上手に生きられないだろうなあ

また親に迷惑かけちゃうかもなあ

 

でも、まあ、自分ってやれること少ない人間だから、やりたいことをしっかり生活費を稼ぎながら、実現できるように、一回バカになろう。

 

 

映画「ノマドランド」観て死んだ祖父を思い出した

eiga.com

 

天才だね、俳優も、監督も、撮影監督も、音楽家も。

しかも、2人だけを除いて全員、演技は素人の実際のノマド(放浪民)っていうね。

 

泣いたな。

ツバメの飛び交う様子、たまごの殻が川を下る様子を、いとおしそうに「ほんとうに美しかった」と語る声の調子に、1番泣けた。

 

わたしは昨日、今年9月から予定していたフランスへの留学を諦めた。

コロナ的に、大学がまったく許可してくれる様子がないから、むりだと思った。

それで夏がひまになった。

去年の夏は、ずいぶんとのんびり過ごしてしまったように思うから、今年の夏はなにをしようかなとちょうど今日も親友と話をしたところだった。

 

見事に映画に影響されて、放浪をしたいなとおもう。

日本の場合は、車より電車のほうがおもしろいかもな。

電車で、バックパックを背負って、1人で車窓や通学の高校生やおばあさん、車掌さんたちを眺めて、行く先々で目に入るものを愛でたい。

 

でもドライブもいいな。

免許をとったばかりだから不安ではあるけど、じぶんのプライベートスペースを丸ごと移動できるというのはやっぱり魅力的だ。

 

わたしは割とふだんから、明日死ぬかもしれないなと考える。

「明日このまま死んだとき、後悔しないかな」とよく考える。

 

じぶんはいつも自然に憧れてきた。

アラスカで雪に囲まれ、カリブーの群れを見たい。

アンデス山脈で、息を切らしながらアルパカの世話をしたい。

オイミャコンで寒さに死にそうな思いをしながら、家族と一緒に火にあたたまりたい。

コンゴで汗を流しながら、荷物に囲まれて川を下りたい。

そのほかにも、たくさん。

じぶんの知らない景色があり過ぎる。

 

忘れていたな、自然の美しさを。

はじめて見る自然の光景に、どれだけ感動してしまうかを、ひさしぶりに疑似体験した。

 

じぶんはどう死にたいだろう。

2年前の夏に死んだ祖父のことを思い出した。

私は死に目に間に合わなかった。

でも、叔父が「孫が会いに来るよ」とベッドの中の祖父に言ったら、脈がしっかり上がったらしい。

何度もその話をきいた。何度も、何度も、祖母や叔父や母がうれしそうに話すから。

わたしは会いに行けなかったのに。

最後にもう一度会えなかったのに。

たくさんのことを教えてくれた祖父は、最期のときには私に何を伝えてくれただろう。

何を伝えたかっただろう。

わたしは何を伝えただろう。

 

じぶんは最後の瞬間にどんな景色を見たいだろう。

見切れなくて後悔するだろう。

 

働くことにある程度の時間を取られるのは仕方がない。

ご飯を買うにも、寝る場所をみつけるにも、美しい光景を見るのにも、お金は必要だから。

でも、わたしの全ての時間を労働にくれてやる必要なんてない。

人生のすべての時間で虚無になって働く必要なんてない。

 

もちろん仕事を愛せれば良い。

仕事と家のある町を愛せるのなら、それは幸せなことだ。

ずっとその町にいたって何の問題もない、愛せるなら。

 

でも、愛せないことの方がきっと多い。

どうしても「外」に惹かれてしまうことはきっと多い。

それはそれで良い。

「外」に行きたいと思った時に、現金や労働などの”くさび”に足を取られることがないなら、良い。

くさびは自分で外すものだ。

9月の留学はなし!!コロナが収まらず正式断念

今日、担当教員に留学の開始時期について相談のメールを送った。

わたしは、9月に行ける可能性は低いとわかっていたけど、

それでも限りなく0に近い可能性にかけて、9月からフランスに行く準備を進めていた。

担当教員も「念のための、準備は進めましょう」と言って、奨学金や、留学先大学への申請を後押ししていたんだから。

 

数日前に、政府主導の奨学金『トビタテ留学JAPAN』が、「感染症危険レベル2と3の国への留学にも、奨学金を支給します」と方針を変更した。

政府は、留学予定者へのワクチン接種もあっせんし始めた。

政府のこの方針が、大学の姿勢にも影響をあたえるかもしれないと淡い希望を抱いた。

 

でも、大学の窓口で「9月開始の留学は、大学の許可がおりない可能性が高い。担当教員ともういちど話し合ってください」と言われた。

やさしい言い方だったけど、やっぱり無理なんだなあと実感するには十分だった。

 

母親にも相談して、1学期遅らせての留学をめざして、万全の準備を進めることに決めた。

やっぱり健康と安全は大事。

この2か月で焦って準備しても、よい留学にはならないな、そう心を切り替えた。

 

だから、担当教員にちゃんと「留学開始時期を半年おくらせます」という連絡をした。

その返信が「はい、そうですね。延期というよりも、今まで話していた通り、9月開始は難しいですからね。2月に行けたらもちろん良いですが。」

 

なんか腹立つ~~~~~~~~

もうちょっと寄り添えよ!!

こっちは、あなたに言われていたからこそ、必死に奨学金の応募用紙を書いて、面接にのぞんで、フランス側と英語でやり取りして、大量の書類を用意したんですよ~~~~~

「9月に行ける可能性は低いですね」という話はたしかにしていたが、希望をもたせたのはお前でもあるんだぞ~~~~~~

ていうか、それならフランス側の受け入れ許可書をもらう時点で、2月留学開始にしましょうって提案しろよ!!!

 

なんか、腹立つ~~~~~

お前の言い方ひとつでめっちゃモヤモヤが残る~~~~~~

この教授、仲良くできねえ~~~~~~

 

この夏は夏でがんばろ~~~~~~

書きたくなったフィクション1

銃を持つ女が叫んだ。

「おまえをやるか、こいつをやるか選べって言うんなら、私はおまえら2人以外、この場にいる全員をころす」

そう言って彼女が引いた引き金の、弾丸はまっすぐ、敵のボスの眉間へ。

彼女が一番はやく動き出す。

そして場が動きだす。

誰にも何もさせまいと、彼女は敵の波へ突っ込んでいく。