茨城県医師会への批判

事実

茨城県医師会による要請

2021年7月5日ホームページ掲載(その後一度削除。7日現在復活)

www.ibaraki.med.or.jp

令和3年7月2日
「ROCK IN JAPAN FESTIVAL2021」主催者 殿
「ROCK IN JAPAN FESTIVAL2021」に関する要請書
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、本県における新型コロナウイルス感染症は、令和2年3月17日に県内初の感染が確認されて以降、6月末時点で感染者10,544名、死者164名に上っております。
この間、県民一丸となって、感染拡大防止に向けた取組みを重ねるとともに、我々医療従事者も昼夜を問わず、懸命な医療活動に当たってきたところであります。
現在、一時の危機的な医療逼迫の状況は脱したものの、希望者全員へのワクチン接種は未だ進行過程にあり、感染力の強い変異株の勢力拡大によって、いつ何時、全国的な蔓延が繰り返されるのか、大いに懸念されるところであります。
こうした状況の中、先日、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL2021」の開催が公表されました。2000年からスタートしたこの催しが、今や本県における夏の風物詩として定着し、地元に大きな経済効果をもたらしていることに、いささかの疑念もありません。
しかしながら、例年に比べ大幅な入場制限等の措置が取られるとしても、現下の状況で開催されることについては、強い危機感を抱かざるを得ません。
つきましては、こうした事情をご賢察のうえ、下記の事項について、特段の御配慮をいただきますよう、要請いたします。

1 今後の感染拡大状況に応じて、開催の中止又は延期を検討すること。
2 仮に開催する場合であっても、更なる入場制限措置等を講ずるとともに、観客の会場外での行動を含む感染防止対策に万全を期すこと。
以上
ひたちなか市医師会 水戸市医師会 日立市医師会 土浦市医師会 古河市医師会 龍ケ崎市医師会
牛久市医師会 石岡市医師会 結城市医師会 常陸太田市医師会 取手市医師会 つくば市医師会
県央医師会 笠間市医師会 那珂医師会 水郡医師会 多賀医師会 鹿島医師会 水郷医師会 稲敷医師会
真壁医師会 きぬ医師会 猿島郡医師 筑波大学医師会 東京医科大学茨城医療センター医師会
茨城県医師会大規模病院連絡協議会 茨城県医師会

「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021」に関する要請について | 医療機関の皆様へ,県民の皆様へ | 茨城県医師会

 

ロッキン事務局による声明

2021年7月7日

rijfes.jp

「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル 2021」の開催を中止いたします。
(中略)
フェス開催1ヶ月前という、ほぼスキーム変更が困難なタイミングでの要請であった為に、私たちにできることはほとんどありませんでした。
政府のガイドライン茨城県ひたちなか市による協力要請を遵守し、会場や県、市の皆さんと密な協議を重ねて開催の承認をいただいてきたのですが、医師会の方の危機感はそれを超えて大きく重かったということで、しっかり受け止めさせていただくしかありません。
要望書が提出された翌週の7月5日(月)、茨城県医師会のホームページに、提出時の写真と要望書の内容がアップされていました。何故か数時間で消えていましたが、多くの方が情報共有できるように再掲載いただけたらと思います。

最新情報 | ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021

 

 わたしの意見

茨城県医師会の要請は、ロッキン事務局側の損失と観客の気持ちを十分に想像したもの とは到底思えない。

また、1年以上の準備期間を設け、億単位の経費をすでに支出している企業に対して対応を求めるには、あまりにも根拠のない曖昧な基準による実現可能性の低い「要請書」であり、公平さに欠けると考える。

 

茨城県医師会による要請の問題点
  1. 1 要請を伝えるタイミングが遅い(チケット発売1か月後、開催1か月前)
  2. 2 要請を伝えた相手がロッキン事務局ではなく、主催者である茨城放送
  3. 3 現在、ロッキン事務局が実施・用意している感染症対策(会場の人数制限、当日のルール等)のどこに問題があるのか指摘していない
  4. 4 「開催の中止または延期を検討する」に値する感染拡大状況の基準、またその根拠を示していない
  5. 5 「更なる入場制限措置等、観客の会場外での行動を含む感染防止対策」の具体例、またその医学的根拠を示していない

全体をまとめると、「実現可能な要請」としての条件を満たしていない、かつ、ロッキン事務局・主催者側への想像力に欠ける、形ばかりの「要請」だと言わざるを得ない。

 

When タイミング

なぜ今なのか、まったくわからない。

医師会の立場に立ち、想像してみる。

本気で「ロッキン開催は県民の安全のために危ないから、なんとか中止するか、医師から見ても満足できるレベルの感染対策を講じてほしい」と思うなら、

ロッキン事務局が「2021年の開催を検討している」と発表した段階でなぜ言わなかったのか。
(渋谷氏の声明を読めば、1年以上前から「会場である国営ひたち海浜公園、地元自治体の茨城県ひたちなか市と協議を重ねて」きたそうである。)

せめて、2021年6月1日に「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021開催します」と発表した段階、

遅くとも、2021年6月8日にチケット第1次抽選先行の受付がスタートした段階で、

医師会からロッキン事務局に開催可否等について相談をもちかければ、

中止するにせよ開催するにせよ、もっとスムーズだったはずだ。

「フェス開催は危ないから、ちょっと待ってほしい」と本気で思うなら、なぜ医師会はもっと早く行動しなかったのか。

 

Who 伝える相手

なぜ、開催の運営を担う事務局のもとではなく、茨城放送の本社を訪れたのか。

たしかに茨城放送の主催者としての権限は大きいだろう。

しかし、この直前のタイミングで本気で「待った」をかけたいのなら、日々1分1秒を使って準備を進めている事務局に直接伝えるほうが、絶対に早い。

伝える相手を間違っていないか?

そして、茨城放送を訪問したあとも、事務局や渋谷氏に直接なにを伝えたわけでもないようだった。

これは、要請の実現可能性を高めるという観点からも合理的じゃない。

何より、イベントの1番の責任者を無視するというのは、ここまで準備を進めている運営者に対して失礼だとは思わなかったのか。

 

Why 要請を出す根拠

要請を出すというのは、現行の感染症対策では不十分だと判断したからだろう。

ならば、まずは、その問題点をキッチリ明示することが必要ではないか。

「ここが問題だから、こう直してください」という改善指導のしかたを、幼稚園でも子ども相手にやっている。

どこが問題なのかも言わずに、「こうしろ」だけ言われて納得できるものではない。

むしろ「医師会の人たちは、本当にちゃんと現行の感染症対策を調べて、分析したのか?」と疑いたくなる。

「どのような点が現行の対策の問題点なのか」を示されないと、要請全体の信用度も落ちる。

 

How 従うべき基準

現行では「危ない」というのなら、一体どんな基準に従えば開催できるのか、まったくその視点が抜けている。

というか、要請全体から「開催を目指す」視点が抜けていないか?

 

「どうすれば安全に開催できるか」というゴール像を、要請の中で医師会はまったく提供していない点が本当に気に入らない。

「問題→改善→理想像」

現実のプロジェクトサイクルでは繰り返されるはずのこの基本的な流れを、医師会はガン無視している。

具体的な問題点を指摘することもせず、具体的な改善策やそれにつながる基準を提示することもせず、「これを目指したい」という理想像も示さない。

ただ、「やめて」とだけ言う。

開催のために邁進するロッキン事務局側からすれば、「どうしたら開催に賛成してもらえるのか。安全に開催できるのか」がもっとも知りたい点である。

そして、ロッキン事務局のゴールは最初から最後まで「観客を動員してロッキンを開催すること」である。

医師会にそれを想像する力はあったのだろうか、まったく疑わしい。

 

話を戻そう。

医師会が「安全基準」を示さないというのは、どのようにすれば開催にこぎつけるかを示さないことであり、それは要請を出す者として非常に無責任なことである。

 

What 対策の具体例

先ほどの「基準」とほぼ同じだが、何をすれば開催にこぎつけるのか、その点を医師会はまったく提案していない。

つまりは、「ロッキン開催」の理想像を示していない。

そんなものどうやって開催すれば良いんだ!

 

まとめ

実現可能性の低さ 

ここまで日本医師会の要請の問題点だと考えられることを1つ1つあげてきた訳だが、全体をまとめると、医師会はロッキンを開催させる気がなかったのではと思うのも仕方がないのである。

まったく現実的な「要請」ではない。

 

よう‐せい〔エウ‐〕【要請】
[名](スル)

(─する)必要な事柄を、その実現のために願い出て求めること。

日本国語大辞典

 

どんな新たなゴール像を目指して何をどう改善すれば良いのかもまったく示さず、「やめて」とだけ言うなんて、まるで子どものわがままだ。

責任ある医師の大人たちが公開したものだとは思えない。

「いかに実現するか」を最優先に考えてきた人たちに対して、「なんの実現の根拠もない」文句をよくもぶつけられたな、この人たちは!

こんなにも根拠も実現可能性もないただの文句が、まかり通り、そして勝ってしまう社会なのかここは。

絶望した。

悔しかった。

 

医師会の想像力の欠如

私がこの要請を読んで愕然としたのは、ロッキン事務局の準備に医師会がほとんど言及していないことだ。

1年以上の期間をかけて、すでに億単位の支出をして、何千人という規模の人々が働きまわり、1か月後の開催に向けて1分1秒も無駄にしまいと準備を進めている。

その労力を医師会は想像してこの文章を書いたのか?

「これまでの皆様の際限なき努力に感謝と尊敬の意を表しつつ、その努力を蔑ろにしてしまう失礼と申し訳なさを重々承知の上で…」等にかする一言もない。

事務局のスタッフに限らず、アーティストや観客が被るリアルな経済的損失、社会的損失、そして心理的なダメージを1mmも想像できていないことが、文章からよく伝わってきた。

 

さいごに

ここまで医師会の要請がいかにひどいものかを語ってきたわけだが、実際にはその子どもの文句みたいな要請が、勝ったわけだ。

ロッキンは開催1か月前にして中止となった。

渋谷氏の声明からは無念のため息が漏れ出ていた。

 

この事実にがっかりだ。

確かにこのコロナ禍でフェス開催にはリスクが付きものだろう。

しかし、「1か月前にして開催中止する損失」と「開催し感染拡大するリスク」を天秤にかけたとき、今のタイミングでは感染拡大リスクのほうが小さかったのではないだろうか。

いや、実際は専門家にシミュレーションをしてもらわないと何とも言えないかもしれない。

しかし、何が悔しいって、その検証の時間も与えられなかったことだ。

渋谷氏も以下のように言っている。

フェス開催1ヶ月前という、ほぼスキーム変更が困難なタイミングでの要請であった為に、私たちにできることはほとんどありませんでした。 

 

ここまで「いかに実現するか」を必死に考えてきた人たちに、要請を受けて「いかに実現するか」を考える余地をすこしも与えなかった点に、残酷さすら感じる。

「感染拡大リスク」「経済的損失」「社会的意義」「観客の気持ち」「音楽業界の維持」等々、あらゆる条件のバランスを総合的に考えて、プロジェクトというものは進行されるはずだ。

しかし、今回はそのバランス感覚が一気に崩された。

「地元の医師会が(実質的に)中止を要請した」という事実が有するパワーの何と大きなことか!

医師会は、実際そのパワーの大きさを自覚していたのであろう。

でなければ、あんな無根拠で無責任な恥ずかしい文章を堂々と公開できるわけがない。

「こんなに簡単な文章でもフェス1つを中止に追い込むには十分のパワーを持っている」という、権力にあぐらをかいた様子が文章から伝わってくるようだ。

 

今年のロッキンは暴力的な正義に負けた。

 

 こんな正義がまかり通る日本社会を恥ずかしく思う。

事務局はなにもできなかった。

文句1つ許されなかった。

自分たちに何ができるかを、医師会に説明する1秒も与えられなった。

こんな暴力的な…

信じられない。

 

自分だったら絶対にこんな暴力をふるいたくないと思ったから、茨城県医師会の要請のどんな点にここまで腹立たしさを感じたのか、どの点に納得できなかったのかを洗い出してみた。

自分は絶対にこんなことはしない。

そう自分が自分に誓うために、茨城県医師会を批判する。