「つまらない」五輪開会式 これが今の日本にできる「最上」

オリンピックの開会式、友だちと一緒にリアタイで最初から最後までみたよ。

 

所々はおもしろかったね!

ピクトグラムはとくに盛り上がった。応援したくなった。

 

“良い”開会式だったね。

 

 

「今の日本にはこの程度しかできない」という現実を見せてくれたという意味で、“良い”開会式だった。

 

だって全体としては絶妙につまらなかったよね!

 

変にわたしたちの「期待を超えてくる」セレモニーにならなくて良かったよ。

 

だって、何とも微妙な雰囲気の中で、予想外にすばらしい式を観れてしまったら

 

「あ、なんだ、日本ってやっぱ、どんなに苦しい状況でもこんなに良くできるんじゃん!」

「賛否両論うずまく苦しい状況の中でも、世界に賞賛されるすばらしい式を観せてくれました」

「日本ってやっぱすごいんだね」

 

という勘違いがまた生まれてしまうじゃん。

 

「日本ならもっとできたんじゃないか」って思う?

ちがうよ、今の日本にはこれしかできなかったんだよ。

 

実際はこんなもんだよ、今の日本。

 

私たちという、

国民からなる、

日本という、

国は

 

この程度だよ。

 

「日本のスゴさ」を未だ盲信してるメディアと、それに影響される人たちを見ててずっと思ってた。

そろそろね、国際社会の中でみた日本のレベルを正直に受け止めないと、

「恥ずかしい」と感じる機会がないと、

改善できない。

 

良い機会だったとおもう。

 

「つまらなかったのは演出家の問題だろ」

「一般人に罪はない」

「国の責任だ」

そう思う人がいるかもしれない。

 

ちがうよ、私たちの責任だよ。

 

私たちが菅総理を選び、

彼に今日まで政治をさせ、

一度はプロデュースメンバーを全員辞めさせ、

大会委員長を交代させ、

演出家をおろし、

今日の五輪を開催させたんだ。

 

あの程度の舞台芸術しか見せられなかったのは、今日までのプロセスをつくった私たち自身だ。

 

今はこの程度しかできない日本を、これからどうするのか、

どうしたいのかは一般ピープル(と自分自身が責任逃れのために自称している)、私たち自身なんだよね。