「シン・エヴァンゲリオン劇場版」
「プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明」
「よい子のれきしアニメ おおきなカブ(株)」
これら3つを観た。
私はアニメ版はぜんぶ見れていないし、序破Qもうろ覚えだったので、解説まとめサイトをざっと読んだだけだ。
それでも、この作品にかけた、カラーという株式会社の熱量に泣けてしまった。
あのシンジ君が、最後は自分で戦うことを決めたから、私もがんばろうと思えましたよ。
なんとかこの大きなカブを、食べる人の前に引っ張り上げてくれた、監督とスタッフのみなさんと周囲で支えた人たち、ありがとうございます。
あと、庵野秀明監督が、血を流しながら映画を作っている様子をみて、
人間ってここまで限界に追い込まれてなお頑張れるんだなと、ほっとしたというか、安心したというか、私の気持ちに手を添えてもらった気がした。
私も”もの”を作りたいと思った。
血を流して、自分の頭の中にあるものを表現するところからスタートして、自分の外にあるものにも手を貸してもらって、作品を作ってみたいと思った。
「欠けているものの方が、おもしろい」
その通りだと思う。
どんなに八方美人に見える人でも、こちらからは見えない裏側の隅の隅には、ドロドロしたものがあるはずだと思う。
そこにこそ、人の魅力はあると思う。
作品は、作者の二十面相的な部分の、ある一面を取り出し、キャラクターにのせることでおもしろくなるものだとずっと思っていた。
ただ、それはグループワークであるアニメーションや映画の現場ではすこし違うのだとわかった。
二十面相で絶対的な作り手1人に、キャラクターの生み所をすべて頼ってしまうと、その人の脳内しか投影されず、庵野曰「おもしろくなくなって」しまう。
ただ、やはりマンガという孤独な世界では、作者の二十面相的な部分が正直に作品に反映されるものだと思う。
ある偏った一面的な作者の考えが、1人のキャラクターの核となり、この世に生を授かる。
作者1人から5人、10人と、新たな人格が生まれる。
そこにこそ、孤独なマンガの世界のおもしろさがあるんじゃないかと、やはり思う。
私もマンガを描いてみたい。
私という人間の限界を、紙の上に落とし込んで、現実世界に表現してみたい。
抽象物でしかない想像上のものを、実体化してみたい。
その”作る”という作業には、これまで経験したことのない類の苦しさがあるのだろうと期待する。