奨学金に申し込むために、先生に推薦書を書いてもらう必要があった。
成績は問題ない。
成績評価基準のGPAは、4を超えて最高水準に近い。
飲み会で「GPA4以上のやつ!」とコールがかかるような感じのレベルだ(?)
じゃあ、成績と「今までの取り組み」を伝えれば、先生からもきっと「良い」推薦書をもらえるはずだ。
そう思った。
ここ1年の「取り組み」を書き出してみた。
これしか書けない。
というか、これ、私じゃなくても誰でも同じことを書けるな?
地味につらい。
数字上の評価が良いだけに、自分の中身が伴っていないことが際立って、突きつけられてつらい。
まわりの友達や先輩や先生は、たくさん自分のことをほめてくれる。
「ここが良い」
「ここがすごい」
「こういうところを尊敬してる」
入学当初、私の話を聞きたいと言ってわざわざ来た友達は、トビタテ奨学生に決まり、留学の予定を控えている。
彼女はインターンも、研究も、ボランティアも、どん欲に頑張っている。
彼女にできることはこの2年で着実に増えているはずだ。
その一方で、私にできることは、なにか、増えたか?
周りがかけてくれる褒め言葉は、私の1番上っ面の表層ではねかえされている気がする。
私の中身には、すこしもタッチしていない。
私の、私だけが知っている薄い中身には、これっぽっちも触れていないから、そんなキラキラしたポジティブな「褒め」言葉ばかりかけてくれるんだ。
本当の私はなにもできないのに。
できないことばかりなのに。
できることを増やすための努力なんて、本当にできない人間なのに。
私は1年先のことを考えて、行動することなんて苦手だ。
1年先の自分が考えていることや、やりたいことなんて、わかるわけがない。
1年後の自分がやりたくないことを、わざわざ準備したくない。
自分が気分屋なことを知っている。
好きなことしかやりたくない自分を知っている。
苦手なことはトンとできない自分を知っている。
明日やらなきゃならないことと、やりたいことを考えるので、わりと精一杯なんだ。
そして、それが悪いとあまり思っていない。
自分は自分のことが大好きだ。
友だちや先輩たちも褒めてくれる。
好いてもらえているという自覚もある。
自分も、友達も、私のことを叱ってくれない。
「いいね」と言うばかりで、両親や高校の担任の先生のように、私のダメなところをちゃんと見通して、指摘してくれる人がいない。
参ったあ、ダメだあ
私これダメなやつだあ
夢が遠すぎる
遠すぎる夢に向けて、プランを立てることもできない私だ。