進撃の巨人21巻を読んで私の脳内はフル稼働だ。
ここまで思考を活性化させる創作世界があるだろうか
少なくとも私の短い人生の中では、これほどまでに現実世界に問いを投げかける創作物に出会ったことはなかった。
21巻で明らかになったことは様々にある。
たとえ「王家の血族」であっても社会の中で少数派であれば差別される。
もっとも大事なことは、その人が誰かではない。
数が多いか、少ないかだ。
そして、多数派が「どの」思想をもち、「どの」歴史を継承したいと考えるかが、その社会のルールを決定づける。
たとえ高潔な王家の血族であっても彼らが少数派であり、多数派と対立する存在であるならば迫害は避けられない。
ある社会ではピラミッドの頂点である者が、別の社会ではピラミッドの最底辺であることがあり得るのだ。
ある社会では多数派の者たちが、別の社会では少数派であり差別されることがあり得るのだ。
社会が、どこで線を引くかにすべてがかかっている。
これはもう、人間の1番の発明は、羅針盤でも活版印刷でも蒸気動力でもなく、社会と言えるのではないか?
少なくとも私にはそう思える。
アフリカ大陸の現在の国々も、旧宗主国によって適当に引かれた国境線が、適当な社会を創り出し、同じ社会に押し込められてしまったからこその問題が次々と起こっている。
人間は生来クズな生き物だと思う。
怠惰で、流されやすく、アニが言った通りだ。
では信じるべきは性悪説なのか?
いや、人間の本質は悪だとは言えないが、一方善だとも言えない。
人間が善であるか、悪であるかを左右するのは社会の仕組みだ。
社会の仕組みが人間に、本能に従って「間違った」行いをさせ続けるし「正しい」行いに変えさせることあるだろう。
コンゴ民主共和国の歴代の大統領たちはなぜワイロしか肥さないのだ?
どんな仕組みが歴代の高官たちをポケットマネーの増植に固執させるのだ?
どんな仕組みが人間をそうさせる?
気になる
気になって仕方がない
進撃の巨人は諫山創という1人の人間が考え出した創作世界に過ぎないが、ときに人の創作世界は現実に当てはめることのできる示唆を与えることが絶対にあると私は信じている。
このセリフは現実世界のあれに当てはまるではないか?
この思想は、この行動は、この信念は、
現実世界ではどんな風に現れている?
漫画と哲学書は本質的に同じものだ。
人間の思想を表現し、他の人間に伝えている。
あとは受け取る者にかかっている。
受け取った者がどう考え再構成し、何にどう当てはめるか。
私が受け取ったものはこうだ。
社会の仕組み次第で人は善にも悪にもなる。
変えるなら社会の仕組みだ。
人に決まった「形」なんてない。
すべては社会のあり方にかかっている。
そしてもっとも大事なことは、私がこの社会の「形」をどうしたいかということだ。