目の前に試験官がいるとしよう。
「どうして建築士になりたいの?」
都市っていう環境全体を創るときに、それを形作る要素のひとつひとつの建物を無視ちゃいけないと思うんですよね。
たとえば、アフリカ地域には54の国があります。
でも、日本人は「アフリカ」って1つの国のように括って語ってしまいがちです。
だから、私はアフリカ1か国の話をしたいんです。
1つ1つまったく違う文化を持っています。
旧宗主国がイギリスか、フランスか、ベルギーかだけでも違いが大きくなります。
さらに、同じフランスの植民地でも風土や植民地化以前の歴史でもちろんまったく違っています。
さらに言うと、同じ国の中でも50,60の民族が住んでいます。
地続きの場所に住む隣人が、自分とちがう言葉を話し、自分とちがう生活習慣の中で生きているんです。
6の民族が集まって地域をつくり、10の地域が集まって国をつくり、54の国が集まって大陸をつくっている
それがアフリカ大陸なんです。
1つ1つの全くちがう色に目を向けると、それが寄り集まってカラフルな大陸が見えてきます。
全体を見るときに、まずは1つ1つに目を向けないと褪せたものしか見えないと、そう思うんです。
まちづくりとして都市やまち全体をデザインするときに、1つ1つの建物のことすらわかっていなかったら、本当に良いものは見えてこず、創れないと思うんです。
私が最終的にデザインしたいのは、アフリカの人たちが住みやすい”地域”です。
だから、そのために、私は1つ1つの建物に手を加えることができる建築士になる必要があるんじゃないかと思うんです。
本当に意味のある仕事をして貢献できる人間になりたいから。
「本当に意味のある仕事をして貢献できる人間か。ボランティア精神かい?」
違います。
私は、人に貢献できる自分じゃないと自分を尊敬できません。
(私が「かっこいい!」と思う人間像)
(私が「なりたい!」と思う人間像)
自分を尊敬するために、他の人を間に挟む必要があるんです。
他の人に貢献できて感謝される人間こそが、私がすごいと思う人間なんです。
私は私をすごい、かっこいいと思いたい。
自分を最高評価したい。
私がすごいと思える人間像は、そういう人だったんです。