なんでもないようでなんでもある日

20歳。好きなものはマンガと映画とアニメ。こんなことを考えて今日も眠れなくなっている!

骨髄で書いた映画「異端の鳥」の感想【微バレ】

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小綺麗な感想への文句

ポーランドの作家が1995年に発表し発禁扱いになった小説を、チェコ出身の監督が11年の歳月をかけて映像化した「異端の鳥(原題:The painted bird)」を観た。

 

朝イチで見てしまい、現在午後10時、正直まだまったく感想を消化しきれていない。

 

そこで、まずは、Twitterでどんな感想が呟かれているのか見てみよう。

 

「なにこれ、鬼滅よりおもしろそう」

”おもしろさ”のジャンルが違うんだよ、腹立つなぁ~~~

 

「人間の残酷さは根源的なものではないかと思うほどの恐ろしい映画」

根源的なものなんだよ、そう言ってんでしょ

 

また、検索して頭に出てきたネット記事はこれ。

 

『異端の鳥』正視に耐えられないシーンを乗り越えた先に待つ、崇高な感動 |CINEMORE(シネモア)

 

あれを観たあとに、よくもまあ自分ら人間が持つ感情に”崇高”なんていう形容詞つけられるな

 

感想を検索しても、理性で整えた小綺麗なポエムしか出てこない。

しかし、この映画は骨と血と肉で殴ってきたのだから、観客も骨と血と肉で答えるべきだ。

みんなもっと骨髄でしゃべれ。

 

監督からのメッセージとは

さて、映画には何かしら”伝えたいメッセージ”が込められているものだ。

では、この監督は、観客に何を伝えたくてこの映画を作ったんだろう?

 

【ネタバレ】『異端の鳥』解説・考察:少年と旅する暴力と性的倒錯渦巻く169分の地獄巡り | ナガの映画の果てまで

 

ひたすらに暴力性と人間の狂気、悪の部分が映し出されていく本作は、その視覚的な描写の過激さも相まって、見る人に衝撃を与えます。

見ている私たちもまたそんな人間の1人なのだと思うと、たまらなく嫌悪感に襲われるのですが、この映画を見ているともう1つ感じることがあります。

それは主人公に手を差し伸べてあげたいという慈悲の心や愛情です。司祭が彼に向けたような心からの善性を、映画を見ている私たちもまた与えてあげたいとスクリーン越しに願うようになるわけですよ。

 

 

この人は「嫌悪感→慈悲、愛情、同情」という感情の流れだと言う。

 

しかし、これに対して私は「慈悲、愛情、同情→嫌悪感」だとむしろ思う。

 

悲しみや同情がまず湧きあがる。

「かわいそうだ」「かわいそうだ」「誰か助けてあげてくれ」「見てられない」

 

でも、動物と人間が殺し殺され交互に現れるのを見ているうちにふと気づくんだ。

「あれ、私も彼らと同じ人間だ」

動物は人間に殺される。人間を殺すことはない。

人間は人間に殺される。人間を殺すこともある。

 

今はスクリーンの中の世界をふかふかの椅子から見つめているだけのも、いつ足を踏み外し、彼らと同じことをするか、実はわかったものじゃない。

 

彼らがやっていることはもやり得る。

 

名前を知らないよそ者はすこし怖いし、

他の宗教のことをきちんと理解できているわけではない、

セックスだってする、オナニーだってする、

嫉妬もするし、人を恨むこともある、

やり返すこともある

 

『自分だけ違うなんて思うなよ』

そう言われた気がした。

 

タイトルの意味

原題は「The painted bird」だ。

このタイトルはしっかりわかりやすく、映画の中で回収される。

 

しかし、それで納得してはいけない。

painted」だぞ?

受け身なんだ。

このセンテンスの中でもっとも重みがあるのは、「bird」よりも「painted」だ。

 

誰が塗ったんだ?

I painted the bird.

You painted the bird.

We painted the bird.

 

『自分の胸によく聞いてみろ。

思い当たる節があるんじゃないか?』

監督はそう言っているんじゃないか?

 

最後に

ゾッとする。鑑賞後ずっと、心臓が握りつぶされ続けている気分だ。

触れたくなかったところに触れてしまった。

あーあもうイヤんなる。

これは一晩寝てもわだかまりが残るわ。

「異文化の他者に出会ったときにどう行動するか」

永遠に自分の中で考え続けなきゃいけないことだ。

 

とにかく、この映画を観てよかったこと。

それは、自分が人生で道を踏み外しそうになったとき、

「待てよ、これは彼らと同じことをしようとしているんじゃないか?」

と、映画の中の人々の顔が思い浮かぶようになったこと。

踏みとどまる目印になったようだ。

彼らと同じところまで落ちてはいけない

人間として、踏みとどまらなければならない。

ただ、その落ちる危うさもまた人間なんだ。