私も発達障がいかもしれない、けどまだ”症状”じゃなく”個性”だと思って生きていきたい

私は軽い発達障がいかもしれないとずっと思っている。

しかし、医者に「あなたはこういう”症状”を持つこのぐらいのレベルの発達障がいですよ」と診断されて障がい者手帳を渡されたいとは、今のところ思わない。

症状でなく個性として自分のことを受け容れたい。

19年間生きた今のところ、自分の個性が強みを発揮できる場面は、学校生活でもアルバイトでもインターンでも何のことない日常でも、十分にあったと思うからだ。

 

私がこうもいろいろ考えているきっかけは以下の記事だ。

1回読んでみてほしい。

 

toyokeizai.net

 

記事で言われている通り、現代のあらゆる仕事場では、マルチタスクが求められることが多く、ケアレスミスが糾弾される。

まだ19歳の私自身スーパーやコンビニのバイト現場で本当によく実感した。

特に、この傾向が強かった仕事はラーメン屋のホールだった。

 

ルーティン化されているタスクに加え、突然舞い込むお客さんからの要望にも臨機応変に対応し、あらゆる種類の仕事を同時並行でこなさくてはならない。

働いてみて、考えながら臨機応変に動き回るこの種の仕事が、私はとても苦手だとわかってしまった。

店長に何度も同じことを注意された。しつこいぐらいに繰り返さないとなかなか覚えられないのだ。つまり自分のルーティンになるまですごく時間がかかる。

「観察力がなさすぎるよ」とも言われた。

思えば、日常生活でも、うっかり・物忘れ・ケアレスミスと名の付くことはよくやる。

 

それでも1年近く続けたら、さすがに体が覚え、なんとか店長に認めてもらえるまでにはなった。

 

しかし、ここまで「自分に合っていない」仕事に出会ったのは初めてだった。

 

ただ、同時期にベーカリーで「作る」系のバイトを始めて経験したら、「こっちの方が自分に向いている」と思えた。

この秋からはラーメン屋をやめて、ベーカリーで働いてみようと思っている。

 

まだまだ学生なんだから、今の内にいろいろな職を経験しておきたい。

そして、1回目の就職で自分に合った仕事を見つけ、それを楽しみたい。

 

たしかに、発達障がいの授業を受けたり、当事者の記事を読むと共感することはいくつかある。

2年前ぐらいから、「私も軽い発達障がいなのかもしれない」と薄々思っている。

 

しかし、ハッキリそうだと診断されたくはないと思うのだ。

 

なぜなら、自分に向いている仕事で十分能力を発揮して役に立てる場があると信じているからだ。

「自分が発達障害かもしれない」と感じる経験はあるが、同時に「それでも自分に価値のある仕事場はある」と思うことができる経験もあるのだ。

どっちも噓じゃない。

 

ただ、上記の記事を読んで初めて生まれた「迷い」はある。

障がい者手帳を早めに手に入れておいた方が、特に就職の場面で、生きやすい人生を選びやすくなるかもしれないという点だ。

 

それでも、もうすこし、私は今までの成功体験を信じたい。

友だちに「そのままでいてね」「個性のクセが強い」「噛めば噛むほど味が出るガムみたいだよね」と言われたことは嘘じゃない。(嘘じゃないんだよね)

 

本格的に自分のキャリアを見つめ、就職活動の荒波にもまれるようになったら、また考えも変わるかもしれない。

それでも、今はまだそう信じていたいのだ。

 

 

最後に、あくまでこれは私の考えをまとめたくて書き連ねたものだ。

というか、自分は発達障がいだなんて勘違いだという可能性も十分にある。

勝手気ままに生んで綴った私の考え、気に入らなかったら一晩寝て忘れてほしい。