モラトリアム

もう、19年も生きてしまった。

 

20歳になるまで、もうあと1年だけだ。

 

何も成せずに19年も生きてしまったように思われる。

 

 

私は、インスタグラムのストーリーを眺めながら夕飯をとっていた。

 

手を触れなくても、友だちの生活が次々と視界に流れ込んでくる。

 

背景は深夜の池袋。ハイセンスな黒と赤と茶の洋服に身を包んだ男女。アルコールの空き缶。

 

背景はフィリピンのゴミ山。環境や平和について彼女が真面目に考えていること。

 

いつもは、そういうセンスが良い動画を見るのが楽しい。

 

でも、今日は私の心を逆なでしてざわつかせて仕方がなかった。

 

背景は高校の文化祭。

 

大好きな同級生と先生たちが画面の中に集まっている。

私は、遠い引っ越し先でひとり。

 

しばらく見なかった間にさらに可愛くなっている女の子たち。

私の見た目に輝く変化はあるのだろうか。

 

友だちが、舞台や音楽、芸術、語学など、それぞれが選んだ道で日々成果を得ている。

私は、この2カ月もあった長い夏休みの間に、何を得られたのだろか。そもそも何か行動しただろうか。

 

何もせずに、今日まで生きてしまった。

 

短い動画の中に凝縮されている、自分と同年代の人たちの充実していそうで生きがいのありそうな生活は、私を寂しさの中に突き落とすのに十分だった。

自分の生活がどれだけ中身のないものなのか、あまりにも突然、眼前に突き付けられた。

不意打ちだった。

大好きな高校の文化祭というのは、心の底に抑圧されてきた悲しい感情を浮き上がらせてしまうほど、センチメンタルな力を持つ。

 

抑圧されていた負の感情は、水と一緒にあふれ出てきた。

 

泣くとご飯の味はわからない。

 

さつまいもとにんじんのお味噌汁。白身魚のカレー粉焼にちくわの甘辛炒め。納豆をかぶった炊き立てのご飯。

いつも自分一人しか食べないのに、自分のためだけに作るご飯に満足感を覚えていた。

日々の生活の空虚さを紛らわそうと、きっと無意識のうちに、そこに充実感を見出そうとしていたのだ。

 

泣きながらご飯を食べていると、その状況がさらに寂しいものに感じられて、より一層涙は止まらなくなる。

 

今まで泣いたことが一度もなかったわけでは決してないが、ここまで自分の心の殻もろとも溶かして流してしまう涙は初めてだったように思う。

 

溶かされた心の殻は何を隠していたか。

 

思えば、つい先日までやっていた短期間の住み込みバイトで、自分はこんなにもいろいろなことができないのかと毎日落ち込んでいた。

それを通して、心の奥深くの殻を見せないようにその周りを満たしていた自信という液体は、少しずつ漏れ出していたのだろう。

 

最奥の心の殻は、自分の一番の弱さを隠していた。

 

私は、遠くの大きい夢ばかり見ていて、はじめて足元を見てみれば何もなかった。

私は、大きい夢を語るが、その夢を実現するために必要な能力はほとんど私の手元になかった。

語学力も、知識も、経験も足りない。それらを獲得するために必要なお金もない。

 

何をしているんだろう。

 

自分の手元の空虚さに、その無い様子に驚いてしまって、心がズンズン下へ下へ落ちていった。

 

私は、今までストレスが溜まったり気分が落ち込んだりしたときは、あらゆる自分の大好きなものに触れることですぐに元気を出せた。

大好きな推しや大好きな絵や大好きな人との写真を集めたスマホのアルバムを見るだけで、また改めて頑張ることができた。

 

でも、今回は、そんなやり方では太刀打ちできなかった。

日常の中であまりにも不意に、ずっと目を背けていた自分の一番の弱みに気が付いてしまったから、その意外性と規模をかけ合わせた衝撃の強さは、すぐにそこから回復できるほど小さくはなかった。

 

打ちひしがれて泣きながら、鼻をつまらせ苦しみながらご飯を食べ終え、いつも通り体は食器を片付け始める。

私にできることといったら、納豆のゴミを片付けることぐらいなんじゃなかろうかと思えた。

 

シャワーを浴びても悲しみは流れていかなかった。排水溝に回収されてしまえば良かったのに。

 

そのままベッドに入った。翌朝は早くからバイトだったから、とにかく寝るしかなかった。

何も解決しないまま、19年も生きてしまったと頭の中で繰り返し思いながら、いつの間にか暗闇の中にいた。