【小説】読書

2006字 日常SF

 

 舗装されていない坂道の上にある木造民家が今日から四日間の私たち家族の家だった。立派な古民家だった。私が両親に、どうやってこんな家を見つけてきたのと聞いても、二人ははっきり答えずにこにこ笑うだけだった。

 到着して、家の中を家族みんなで一通り見た後、夕食まで思い思いに過ごした。私はさっき奥の部屋で見つけた本を手に、誰もいない和室に入った。本は紙製の鼠色の箱に入っていた。本自体も特別感のない地味な見た目で、表紙には

水と愛について

とだけあり、作者の名前すらなかった。読み始めて私は水に浮いたような話だと感じた。捉えようとしても指の隙間から逃げてしまう。本を読んでいるはずなのに、私は家族と加賀を旅行した時のことを思い出していた。昔の思い出のように、全体を掴めず断片的だが、不思議と温かさはしっかりと伝わってくる。

 この話には登場人物が多く、彼ら一人一人が語る話が途中八本差し込まれていた。本編と同じようにその「話の中の話」、挿話も捉えどころがなく、人の勘違いを正す話などがあった。ただ、読んでいるうちに私の中で違和感が生まれてきた。その挿話はどれもせいぜい一ページにしかならず、話として充足せず要約のようだった。挿話の次を読み進めると、語りの前提とされている情報が私には欠落しているようで、読めば読むほど不明瞭になり、本が何を言いたいのかわからなくなってしまった。捉えどころがなくても意味はわかっていた先ほどまでとは違う。面白い本なのに、このままでは最後までたどり着けない。もう一度一本目の挿話の頭から読み返してみるが、やはり書いていなければならない情報がそもそも書かれていないようだ。読者を騙すような行為に少し腹立たしくなって、私は本を置いた。

 一度トイレに行った。戻ってきて、どうしようかと思いながら本の入っていた箱を取り上げてアッと声が出た。その本は二冊だった。一冊しか入っていないと思っていた箱には間仕切りがあり、自分が最初に見つけた本の五分の一程の薄さしかない二冊目の本がひっそりと収められていた。間仕切りが箱本体と同素材の同じ色で、薄い本の背表紙も鼠色だったから、箱に本が溶け込んでしまって気がつかなかったらしい。薄い本を抜いてみると、右側が紅色の糸で綴じられていた。あとで知ったが和綴じというやり方だった。中には、八編の挿話が収められていた。要約的なものでなく、長尺の、私の知りたいことが書かれているものだった。一冊目の方に書かれていたのは、この二冊目の各話の要約だったと今はっきり分かった。

 別のもう一冊があることに気付き、その中に八編の本編が存在すると読んで確認するうちに、私の心は高揚感に満たされた。私の心がいっぱいになっていくのに呼応するように、私の座っている座布団が風船か気球のように膨らみ、私の体は宙に持ち上げられた。床の二メートルほど上に浮かび、部屋を出て、家の中をぐるぐると移動し始めた。私は興奮に包まれ、二冊目の本の文章をなぞるように読んでいた。私の気が付かないうちに、私を乗せた座布団は母のいる部屋に入った。母は飛ぶ私を見て、十五秒ほど黙った後、手に持っていた柿ピーの袋を私に差し出して

「食べる?」

と聞いた。私は胸がいっぱいで物を食べられない気分だったので、

 「大丈夫。」

と言った。座布団は次に父と妹のいる部屋に入った。父は座布団を枕にして畳の上に寝転んでいた。妹はその傍で漫画を読んでいた。飛んで部屋に入ってきた私を見て、父は驚き、肘をついて身を起こした。頭を上げたので枕が空き、父は、そこに寝るかと問いかけるような顔を私に向けた。人は、見たことのない動きをする人間を見ると、自分たちの知っている日常的な動きに、その人間を戻したくなるのだろうか。妹は漫画から顔を上げて、目を見開いていた。飛ぶ私を見た母、父、妹に共通したのは、声を上げずにじっとこちらを見つめたということだった。驚愕して放心する、驚愕の放心だった。

 座布団が飛んで家の中を探検している間に私は八編の挿話と本編を読み終えた。本編の本の最後のページに紙切れが挟まっていて、読みやすい字で短い文章が書かれていた。この本の作者か編集者かわからないが、製本した人が書いたらしい。

 「一冊一冊紅色の糸で綴じていかなきゃならない羽目になった。針を一刺し、一刺し、慎重に刺した。『この本を受け取る人のことを考えて』と言う奴がよくいるが、その気持ちは私にはわからない。分厚い紙の束に針を刺すのは意外と難しく、やり終えたと思い本をひっくり返してみると、糸が斜めになってしまっているものもあった。それが今手元に残しているこの本だ。」

私が持っている本をひっくり返してみたら、糸が斜めっていた。いつの間にか私は座布団に連れられて最初の部屋に戻ってきて、畳の上に着地していた。座布団は飛ばない座布団に戻っていたが、運動した後の熱さがじんわりと足に伝わってきた。

映画「羅生門」人間って…にんげんって…

人間は正直であろうか。

いや、人間はなかなか常に正直ではいられない。

ふと、自分の都合の良い方に口は回ってしまう。

自分で意図して自分の都合の良いように口が回るならまだ良いが、自分で知らないうちに、口が勝手に主人に気を回して、都合の良い物語を作ってしまうこともあるのだから困りものだ。

いつ自分は、何を語ったか。

自分でわからないことがざらにあるのが人間である。

 

杣売の話が最も確からしいとすれば、3人はなぜそれぞれあんな話をでっちあげたのか。

 

女は、汚らしい盗賊だけでなく、これまで連れ添った夫にまで見捨てられたことはあまりに悔しく、恥ずかしく、情けなく感じたか。

であれば、自らの手で自らの小刀で、夫を終わらせた方が、その心は晴れたかもしれない。

 

多襄丸は、女に侮辱され、けしかけられ、腰引けたまま情けない刀を振るったことが悔しかったか。

洛中洛外で知られた多襄丸の名折れだと、後から恥ずかしくなったか。

自分で手籠めにし、辱めた女のまるで言いなりのように、情けなくも腰を引かせながら刀を振るうよりは、自らが主導権を握り、女に自分を求めさせ、男に情け深くも太刀を持たせた方が実に格好がつくと思うなどしたか。

 

金沢武弘は情けなかったろう。自分が捨ててやったと言わんばかりに突き放した妻に、あんなに嘲られては、家に一人帰っても眠れなかったろう。

恩を仇で返すように自分に牙を向いた妻を、卑しい盗賊の足の下に這わせ、その男に優しく情けをかけてもらう方がよっぽど自分の気は晴れただろう。

自分で自分の胸に小刀を突き立てる方がよっぽど格好がつくというものだろう。

 

杣売も杣売だ。

あったことをありのままに話してしまえば、じゃあ螺鈿入りの小刀がそこら辺に転がっていてお前が見なかったはずはないという話になってしまう。

それだったら、全員いなくなり、死体の断末魔も消え、さらに小刀もどこか霧の中に消えてしまった後の現場の状況を話すだけの方が、いやまったく、都合が良いのだ。

 

しかし、盗人と赤ん坊拾いが表裏一体だと、最後羅生門を背に歩いていく杣売はにやけず、油断せず、これから人の子を育てていく人間の正直な顔だと思いたい。

パリは綺麗な街か、汚い街か

パリの中心部に住んでいる友だちが、セーヌ川の夜景を見ながら「パリから離れたくない」と残念そうにつぶやきました。

パリのセーヌ川の夜景
 
また、違う会話の中で同じ人が「パリの北の方は危なくて一人で歩けない」と、パリの北の方に家も学校もある私に言いました(笑)
 
こういった言葉を聞いてふと「パリの環境の良い部分だけを見て、この街を好きだと彼女は言うのか」と、自分の捉え方とのちがいに気づきました。
 
もちろん治安は私も気にするし、リスクは避けます。
 
でも、「この街は汚くてごちゃごちゃしてるなあ」と思いながら歩く街も好きです。
 
たとえば、パリ北部
 

パリ北部、グット・ドール地区のある一画
ここにも、オスマニアン建築はあるし、最近の建物でも高さやファサード・窓の大きさは揃えられ、幾何学的な街並みをしています。
 
でも、バルコンに洗濯物や雑貨が置かれているのをよく見かけます。
 
それは、建物の外に”人の生活がはみ出している”ように私には見えます。
 

洗濯物を干す、パリ北部のある集合住宅
ちなみに、フランスの外干し事情について
約40年前、リヨンでは「視覚汚染防止のため」外干し禁止令が出された。
しかし、その10年後には廃止され、今も条例で禁止している都市の例はない。
ただ、「建物のブルジョワ的品位を落とす」という考えで、いまだに建物の管理規約で外干しを禁止している場所はある。
新築ではそういうルールもなくなってきているが、人々の中には、”外干しは乾燥機を家に持たない人たちがやる、好ましくない習慣”という意識が残っている。
 
それに比べるとパリ中心部はずいぶん小ざっぱりしてます。
洗濯物なんてまず見ません。
 
シルバニアファミリーのおもちゃみたいな家の中から掃除機の音が道いっぱいに響いているときは、ニヤッとしますが。
 
とにかく、ルールで形を固められた建物の外に、物や音があふれ出てしまっているのを見ると、「この街は生きてるなあ」と思いドキドキします。
 
つまり、
 
人が集住して都市ができ、
 
時が経つと、景観を美しく保つことに意識が向き始め、ルールで建物を固めるようになり、
 
でも、さらに時が経つと、内側の人の活動で、建物にひびが入り、傾き、汚れ、音が漏れ、物が溢れてくる。
 
 
ハウルの動く城みたいですね
引っ越しのシーン、荒れ地を歩く城の外観は秩序なんてない形なのに、屋内は一等綺麗なモデルハウス然。
むしろ、ごちゃごちゃ汚い外観の方に、よっぽど人の暮らしが生々しく現われているのでは。
そう考えると、ハウルの動く城巾着袋をひっくり返したみたいなものだな。
 
 
「汚くてごちゃごちゃしている」街の方にこそ、人が生きている証拠がある気がするので、わたしは街のそちら側を見るのが好きで、その多面性を知らずに街を評価することはできないなと思います。

パリ市内でアフリカ渡航のための予防接種【黄熱病,マラリア,B型肝炎,etc】

私は現在パリに滞在していますが、2022年7月から2か月間、西アフリカのベナン共和国に滞在する予定です!

 

衛生環境が相対的に整っていない国で寝泊まりするので、さまざまな病気の予防接種を受ける必要がありました。

 

わたしはこの厚労省のサイトを見て、自分が受けた方が良い予防接種を確認しました。

www.forth.go.jp

このサイトには「接種推奨」と書かれていても、結果的に接種しなかったものもあるので、それも含め残しておきます。

 

トラベルクリニックで接種したワクチン

黄熱病、腸チフス髄膜炎

まずはここを訪問しました。

goo.gl

もともとは、ここでB型肝炎マラリア予防薬も処方してもらう予定だったのですが、以下のように先生に言われたので、その通りにしました。

  • 肝炎ワクチンは、国民皆保険に入っていれば、それが適用される。このトラベルクリニックは保険適用外なので、高くつく。
  • マラリア予防薬は、一般開業医(Médecin généraliste)に処方箋を発行してもらい、薬局で購入する

医者に「接種の必要なし」と判断されたワクチン

破傷風

トラベルクリニックの先生が私の予防接種歴(母子手帳を自分で仏訳)を確認し、こう判断してくれました。

破傷風ワクチンは、他の病気との混合ワクチンとして子どもの頃に接種していたので、今回あらたに受ける必要はありませんでした。

 

Médecin généralisteで処方・接種してもらったワクチン・薬

マラリア予防薬

マラリア予防薬は数種類ありますが、マラロンを処方されました。

私はこれを日本のクリニックでも処方され、服薬した経験があるので、安心しました。

滞在中毎日+帰国後1週間、服用します。

 

B型肝炎

初回接種+1か月後に2回目+さらに1か月後に3回目

先生に処方箋を処方してもらい、薬局でそれを見せてワクチンを購入。

自宅の冷蔵庫に保管し(!)、再度先生のもとへ行って、注射してもらいます。

 

注意!

フランスの医療制度は日本とちがいます。

予防接種をする場合は、診察をしてくれる先生(Médecin généraliste)のもとではワクチンを購入することができません。

 

①Médecin généralisteに処方箋を発行してもらう

②その処方箋を薬局に持っていき、ワクチン購入

③再度Médecin généralisteを訪れ、注射

 

つまり、2度先生のもとを訪れる必要があります(笑)

A型肝炎

今回、一番わたしの頭を悩ませたのはこれです!

実は、私は数年前に日本製のA型肝炎ワクチンを接種していたんです。

 

4年前 日本製A型肝炎ワクチン(エイムゲン)を1か月間隔で2度接種

 

本来は、初回接種から1-2年のあいだに3回目接種を受けなければならない

・・・しかし、私はすっかり忘れていた!

 

この場合、あらたにフランスで接種するべきなのかどうなのか、わからなかったので、接種したクリニックにメールで訊いてみました。

回答のポイントは以下の通り。

 

  • 抗体取得には個人差がある

  •  

    国内ならば3回目として早めに接種しつつ、抗体検査を推奨し抗体取得出来ていればその後の接種を中止する

  •  

    現在海外滞在で、上記方法が難しければ海外製A 型肝炎を検討しても良い

  •  

    接種回数や抗体検査の有無につきましては、Drと相談するように

 

この回答を機械仏訳し、フランスの先生(Médecin généraliste)に相談しました。

先生「…ややこしいね(笑)」

 

ひとまず、A型肝炎の抗体検査をすることに。

 

血液検査は、Médecin généralisteではできないので、Laboratoireに行きます。

あさイチで検査してもらい、その日のうちにメールで結果がわかります。

それを持参して、再度先生のもとを訪問。

結果をもとに、再度接種する必要があるのか否か判断してくれました。

 

「ハードモード大好き」なフランス人。日本との働き方の違いにも影響アリ?

「先生にたくさん厳しいコメントをもらってて、うらやましい」

授業で私の設計案に教授から1時間以上の指摘をもらった後、フランス人の友だちにそう言われた。

他のフランス人からも似たようなことを言われる機会が多い。

「いそがしいの?良いことじゃん。じゃなきゃ留学に来てる意味ないよね」

「先生に厳しいこと言われたって?良かったじゃん」

 

「ハードモードだいすき」なフランス人の意識は、

ジョブ型の働き方にも影響しているんじゃないだろうか。

 

本の学校だったら、

「えー先生にそんなこと言われたの。だるいじゃん」

「そんな頑張らなくていいよね」

「しんど。ゆっくりいこ」

っていうリアクションがほとんど。

 

この意識は、社会に出てからの態度に直結してるんじゃないかな。

日本には、自分があまり頑張らなくても定年まで居させてもらえる会社が多い。

 

でも、フランスの働き方は、正反対。

学生のうちにインターンを重ねて、卒業後もまずは無給で働かせてもらう。

スキルを身に付けたら次の会社へ。

また次の会社へステップアップ。

 

わたしのホストファザーは独立して10年。

最近、仕事が軌道に乗ってきたようだが、毎晩ビデオで仕事内容に関連した勉強をしてる。

じぶんが勉強し続けて、はじめて仕事を得られる環境。

 

働きがいがあるだろうな

大変だろうけど、楽しいこともあるんだろうな

いいな、あこがれる

わたしは働くならフランスみたいな、働きがいのある環境にいたいな

パリ留学中にクラスメイトに言われたショックな一言

ひさしぶりにブログを更新する。

昨日までは、紙の日記に書いていた。

だが、どうしても誰かに読んでほしくて、ブログを書いている。

 

クラスメイトが伏し目がちに、しかし、私の方をハッキリ見て言った。

「こんなの不平等だよ。」

 

毎週木曜日にある授業は、2人組のペアで進めている。

私は、スロバキア人の女の子といっしょに、1つの集合住宅を設計している。

もう一緒にやり始めて2か月ほど。

2月頭に最終発表をひかえ、今はかなり大詰めの時期だ。

 

12月19日から1月2日まで続いたクリスマス休暇明け、最初の授業は中間評価だった。

みな、A0用紙に、1万5千平方メートルの敷地の設計図を印刷してきている。

それ以外にも、間取り図、平面図、断面図、ファサード(建物の外観)、ランドスケープ(周辺環境)の図など…

もちろん1:200の模型も。(シルバニアファミリーより一回り小さいぐらいのサイズ)

 

しかし、私の目の前にはなにもない。

平面図の1つすら印刷できていない。

ArchiCAD(PC上の設計ソフト)で設計図はつくっていたが、印刷方法が想像以上にややこしかった。

しかし、時間があればできたはずだ。

 

じつは、1週間ほどフランス国外に旅行に出かけ、つい授業前日に帰ってきたところだった。

もちろんそのことはペアに事前に話していた。

「旅行に出かける前に設計図も模型もすべて終わらせるね」

そう約束して、確かに(ArchiCAD上の)設計図は終わらせ、(美しいとは言えない)模型もペアに手渡した。

 

しかし、詰めが甘かった。

教授にプレゼンテーションするための素材を用意できていなければ意味はないだろう。

教授に見せられるA0の設計図がなければ、教授はなんの評価もできない。

 

当日、私たちに与えられた壁のスペースに貼ってあったのは、すべてペアが用意してきた設計図だけだった。

 

ペアは、木曜日の授業に向けて火曜日の時点でわたしに言ってきていた。

「敷地全体の図を印刷してきてね」

「おっけー、飛行機の中とか待ち時間できっとできるよ」わたしは軽快にそう答えた。

 

しかし、実際はどうだ。

飛行機の中では予想外にノルウェー人の女の子に話しかけられ、日本語で盛り上がってしまった。

帰宅してからは、吐き気でトイレから離れられなかった。

翌朝、つまり授業当日の朝は、まだ気持ち悪くて、だるくて、おなかが痛くて、家から出られなかった。

 

結局、教室に着いたのは午後の部がはじまるPM2:00

午前中に一度教授がペアのもとに来たらしいが、「建物が揃っていないんじゃ何もできない」と言われてしまったそうだ。

 

印刷できるPDFを私はなにも持っていなかった。

「ごめん、今からやるね」

そう言って、4時間以上PCと格闘。

ペアはもちろんすべて終わらせてきているから、メールチェックや友達とおしゃべりなんかしている。

 

ファイルサイズがラップトップの処理能力を超え、遅々として動作が進まない。

ペアのため息の数が確実に増えている。

 

参った。

 

「印刷するのはもう無理かも…」

「…じゃあ、今日はやめて、来週教授に見てもらおうか」

正直、彼女がこんなことを言うとはおどろいたので、かなり疲れていたのだろうと確信する。

「でも、何もしないよりはPC画面でも見てもらった方がマシだよね」

私がそう恐る恐る提案すると、彼女が息をゆっくり吐くのと同時にこう言った。

 

「こんなの不平等だよ。」

私は彼女と目を合わせていたので、聞き間違えることもなかった。

「壁に貼ってあるのはぜんぶ私が用意したもの。

私ひとりで用意した。

でも、教授からは2人でやったものだと見なされる。

そんなのフェアじゃない。

私はしっかりやったんだよ。」

 

その通りだねと返すしかなかった。

何の異論もない。

 

そこまで直接言いはしなかったが、つまり彼女が言いたかったことは、

「あなたは何もしてないじゃん」

ということ。

 

フランスに来てから『ごめん』と謝る機会がグンと減ったが、今回ばかりは心から『ごめん』が出た。

 

「あなたの努力はよくわかってる。本当に申し訳ない」

 

結局、その日は、教授にPC上の設計図を見てもらい、なんとか2時間半程度の評価はもらえた。(それでもクラスの中では短い方)

教授から具体的なアドバイスをもらえて、帰り際のペアの顔は晴れ晴れとしていた。

 

しかし、日曜日にまた打合せをすること、火曜の夕方までに新しい図を用意することを約束したとき、彼女の眼の奥は深かった。

 

学校を出て、バスに乗り、帰宅する。

夕食をとり、シャワーを浴び、日記を書こうとペンを手に取る。

 

ショックが続いていた。

 

自分は自分に甘いと、自覚していたはずだった。

母にも「あんたは自分に甘いとこがある」と言われていた。

でも、実感できていなかったんだと思う。

 

『自分に甘い』っていうのは、誰かに迷惑をかけることだったんだ。

プラマイゼロなんかじゃない。

『自分にのちのち返ってくる』だけのものでもない。

そのとき自分を甘やかして放っておいた仕事は、誰かの肩にスライドする。

 

情けない。

 

思えば、留学をはじめてそろそろ4か月。

フランス語はペラペラになっていないし、

建築の知識もほとんど増えていない。

言語も専門知識も、それっぽく、理解しているように見せかけているだけで、本当はなにも身についていない。

見せかけるのがうまいから、周囲の人は褒めてくれることが多い。

褒めてくれる度に、

「本当はそんなにすごい人間じゃないんだけどな。

誰も気づいてはくれないのかな。

叱ってはくれないのかな。」

そんなことを考えていた。

 

しかし、実際に厳しい言葉をかけられたらどうだ。

しっかりショックを受けている。

『自分は自分に甘い』とわかっているつもりで、わかっていなかった自分を自覚した。

 

恥ずかしい。

情けない。

こんな自分、かっこ悪い。

弱い。

 

 

こんなときに見るべき物を引き当てる能力は持っているようだ、自分。

 

名作映画「プラダを着た悪魔」を無性に見たくなって鑑賞した。

 

プラダを着た悪魔 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 | Filmarks映画

 

観て良かった。

 

日本語のレビューでは「自分もこんなバリキャリになりたい!」という声が目立った。

私には違和感があった。

 

日本社会から見ると、いつクビになるともわからない能力至上主義のアメリカ出版業界で働けくことができるのは、『バリキャリ』だけなのか。

大学の専攻なんて関係なく雇ってもらえ、終身雇用でゆるゆると1つのイスを温め続けられる日本の労働社会から見れば。

しかし、私のまわりのフランス人は、大学の専攻と直接つながりのある仕事を自分で見つけ、もしくは自分で会社を興す。

バカンスを取るタイミングも、自分の責任と選択だ。

そういう労働法に基づく、社会の仕組みだから。

 

自分が『バリキャリ』になれるかどうかは、1つは自分の姿勢、1つは環境なんだろう。

日本みたいに、1つの会社内でいろんな部署を回される社会では、自分の専門を究めるためにキャリアを積むという働き方はなかなか実現しにくい。

アメリカやフランスのように、自分の専門力を以て、複数の会社をはしごしていくのが当たり前の社会であれば、全員『バリキャリ』。

それが常で、もはや『バリキャリ』なんて概念は存在しない。

 

再確認した。

私は日本では働きたくない。

働きがいのある環境に身を置きたい。

 

そのためには?

 

ペアの彼女を失望させてる場合じゃない。

 

フランス語をできなきゃいけない。

建築と都市計画の知識をちゃんと持ってなきゃいけない。

言ってしまえば、今身に付けるべきことはその2つだけなんだ。

 

ラッキーなことに、私は環境を引き寄せることには長けているようだ。

挨拶や面接時の外面で人を期待させることは上手い(その後実際に働いてみると、だいたい失望させている気がする)のだ。

だから、今、環境には恵まれているはずだ。

パリの建築学校で、協力的なクラスメートと、やさしい教授たちと、優秀な日本人留学生に囲まれている。

あとは自分の努力だけじゃないか。

 

それが一番むずかしいのだが、もうそんなこと言っている場合じゃない。

 

中学の数学の先生が言っていたこの言葉が、何年経っても頭から離れない。

「人生はマラソンだ。坂道を駆け上がり続けられないやつは、いつのまにか滑り落ちていくだけだ」

中学生にそんなこと言うかと当時は思ったが、言ってくれてよかった。

 

私の靴は、ぜんぜん坂道で踏ん張ろうとしていないので、底がすり減っていない。

こんな自分、自分が一番イヤだ。

 

足の指で坂をつかまなきゃ。

もっと必死にならなきゃ。

焦らなきゃ。

自分に『優しい』と『甘い』はちがう。

自分に楽させるところを間違えるな。

 

気づくのが遅い。

でも、留学期間がまだ半分以上残っている今のうちに気づけてよかった。

今からだ、

今から

今から!

パリで働くママ、日本で働く母

フランス人ファミリーが暮らすアパートの一室を借りている。

今日は、ホストマザーにネイルをしてもらった。

彼女は30代後半ぐらいで、ふだんは専業主婦だが、いまは美容学校に通っている。

将来、家でサロンを開きたいそうだ。

学校の宿題で、私がネイルのモデルになった。

ネイルのあいだヒマだったので聞いてみた。

 

「どうして4歳になる娘さんがいて、すでに忙しそうなのに、さらに学校に通い始めたんですか?」

 

「だってね、夫は今年55歳なの。彼になにかあったら、誰が娘を食べさせていける?

私以外に誰が娘のめんどうを見てくれる?

誰もいない。

私がひとりでも生計を立てられるようにならなきゃいけない。」

 

おたがいに英語は母語ではないから、彼女はまわりくどい言い方をせず、ストレートに伝えてくれた。

 

しかし、当の娘ちゃんはそんなこと知らない。

お母さんがネイルに神経をとがらせているときに、構ってと言わんばかりに体当たり。

ネイルが崩れ、お母さんが声を荒げる。

すでに何度目かのじゃまだったので、お母さんは娘ちゃんにデコピンをして「出ていきなさい!」と怒鳴った。

娘ちゃん、今日イチのギャン泣き。

わたしがオロオロしていると、

「気にしないでいいよ。彼女は泣くのが仕事だから」

 

でも、あまりに長く泣いているので気になってしまう私。

「でも、彼女、お母さんを待っている様子だね」

 

「うん、そうね。でも、あの子にはもう何度も注意してた。それでも邪魔してきたんだから、いけないことだとわかってもらわないと。

これも全部わたしのためじゃなく、あの子のためなんだよ

 

あの子のためにお金を稼ごうとしている。

仕事を得ようとしている。

 

私がなんで美容の仕事に就きたいかわかる?

サロンならこの家で開けるからだよ。

あの子の面倒を見ながら、同時に働くことができる。

他のだれかには任せたくないの。

あの子には私が、母親が必要だってわかってる」

 

ハッとした。

私には5つ離れた妹がいるが、妹が7歳ぐらいのとき、母は仕事をはじめた。

そのときはわかっていながったが、たぶん父が仕事を失って、再就活のころだったんだと思う。

土曜日も出勤していて、妹はさびしそうだった。

その分、父が遊びに連れて行ってくれたり、私がクラッカーの美味しい食べ方を教えたりして、めんどうを見ていた。

でも、やっぱり家の中の雰囲気は暗かった。

 

そのとき、母にはそれ以外の選択肢がなかったんだろう。

 

フランス人のママも「娘のめんどうを見るのと同時に働こうとしたら、これ以外に選択肢はない」と言っていた。

 

フランス人ママを尊敬する。

そして、自分の母のがんばりも、数年経ってはじめて尊敬することができた。